東京を発ってから6時間、札幌で飛行機を乗り継いで、根室中標津空港に着いたときには夕暮れどきになっていました。はるばる北海道にやって来たのは、中標津のお隣の別海で夏を過ごしている女優の倍賞千恵子さんにインタビューするためです。
空港から薄曇りの空の下、中標津の街に向かうタクシーのなかで高校生のときに夏の家族旅行でこの街を訪れたことを思い出しました。「道東を車で巡りたい」との父の突然の提案で、根室や野付半島、中標津、釧路などを父が運転する車で回る旅でした。根室で食べた花咲蟹、野付半島の荒涼とした風景、標茶の西部劇に出てくるような街並みなどは覚えているのですが、中標津のことを思い出そうとすると、「ここはようろううし~」という養老牛温泉で泊まった宿で流れていた、ご当地ソングが頭に流れてくるばかりです。
親の心子知らず。車に揺られているうちに『幸福の黄色いハンカチ』や『遙かなる山の呼び声』、『北の国から』が大好きな父は多分、その旅でロケ地巡りをしていたんだと気づきました。取材のために読んだ倍賞千恵子さんの本や資料には、夕張で『幸福の黄色いハンカチ』が撮影され、『遙かなる山の呼び声』のスタッフとキャストは養老牛温泉に泊まっていたと記されていました。
東京本社でサービス残業に文句をつけ、北海道に飛ばされたと繰り返しぼやいていた(真偽は不明)父でしたが、雄大な自然と余計な気を遣わずに付き合える北海道人の大らかな気質が気に入って、3年の赴任を終えて東京に戻るころには、すっかり北海道好きになっていました。そのころスクリーンやテレビで見た、故郷を離れて北の大地に流れつき、根を張っていく寡黙でたくましい高倉健や田中邦衛に自分を重ね合わせていたのでしょう。車中で「ここにいるべきなのは、自分ではなく、父なのだ」と思いました。父は「寅さん」の大ファンでもあるからです。「それをいっちゃあおしめえよ」と寅さんの真似をし、「毎回、冒頭の夢の場面が面白いんだよ」と熱く語る父が脳裏に浮かびます。お正月やお盆には何度も寅さんがかかる映画館に連れていかれました。父が北海道で倍賞千恵子さんのインタビューをすることになったら、出発の前の晩は寝られなかったことでしょう。ここにいるべき父が背後で守ってくれている気がしてくるとともに、その思いを託されてここにいるのだと思うと、謙虚な気持ちになり、今、ここにいることこそが必然なのだとも思えてきました。
インタビューの前夜は中標津の居酒屋の暖簾をくぐりました。まずは生ビール、それから父が北海道で出合い、好物になったというホッケとホヤを注文しました。
(編集部・波多野文平)
source : 文藝春秋 電子版オリジナル