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学生時代から憧れていた山極壽一先生に取材した

編集部日記 vol.13

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ニュース テクノロジー

 一度お会いしてみたかった方でした。

「取材はオンラインでも構いません」。広報の方にそう言われるも、「お伺いします!」とやや前のめりに向かった先は、「総合地球環境学研究所」。京都駅から地下鉄とバスを乗り継いで30分、国際会館のほど近くにある緑豊かな場所でした。

 日本のゴリラ研究の第一人者である山極壽一教授。6年間務めた京都大学総長を3年前に退任された後、こちらで所長を務めています。

山極壽一さん

 私は大学で文化人類学を学んでいました。4年生の時に偶然読んだのが、『家族の起源―父性の登場』(東京大学出版会)。内容を理解できた自信はありません。ただ、アフリカの熱帯雨林、自然や動物と渾然一体となったフィールドワーク、スワヒリ語どころかゴリラ語まで操ってしまうという研究者の姿を想像しては、強烈な憧れを抱いたことを覚えています。

 国立市生まれの山極さん。子供の頃に「ターザンごっこ」「探検ごっこ」をしていた一橋大学は、私の母校でもあります。学生時代はさして有難くもなかった、鬱蒼とした「あの森」で、山極少年がすくすくと育まれていったかと思うと妙な感慨を覚えます。

一橋大学のキャンパス ©時事通信社

 野球にバスケに、ラグビーに、ノルディックスキー。逆立ちに、大車輪(鉄棒も大得意だったそう……)。微地震の計測、都をどりの黒子さん、料亭の皿洗いや布団上げ。京大の学生時代にはありとあらゆるバイトをしたのだとか。フィールドは、志賀高原から下北、屋久島、ザイール、ガボン共和国へ。子どもの頃は宇宙に憧れていたという少年は、「未知」への好奇心に突き動かされるように、新たな世界の扉を次々と開けていくのでした。

大車輪が得意だった中学時代(山極氏提供)

「冒険家」

 そんな言葉がぴったりの山極先生に、これからも聞きたいことが山積みです。

(編集部・佐藤)

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

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