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シリコンバレーから21世紀を揺さぶる思想が生まれつつあるかもしれない

編集部日記 vol.14

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 20世紀を揺さぶった思想が共産主義だとすれば、21世紀のそれは、テスラやスペースXの創業者イーロン・マスクを象徴とする「ハイテク原理主義」かもしれない――11月号掲載の「橘玲のイーロン・マスク論」には、“21世紀の後半の人類に待ち受けるのは、ハイテク原理主義を信奉する天才たちが動かすディストピア(悪夢的な世界)かもしれない”と予感させるものがあります。橘さんは次のように書いています。

〈わたしたちはいま、とてつもない富を獲得した、とてつもなく賢い者たちが、テクノロジーをエクスポネンシャル(指数関数的)に“加速”させて社会を大きく改造する時代を生きている。(略)だがその行き着く先は、途方もない「自由」に適応できる「1パーセントのマイノリティ」あるいは「X-メン」たちのためだけの世界なのかもしれない〉

イーロン・マスク氏 ©AFP=時事

 テスラやGAFAなどハイテク企業の経営層には、理数系の天才たちが集まっています。彼らは子供の頃からSF、アニメ、ゲームが大好きで、友達づきあいは子供の頃から苦手。挨拶がわりに数学の難問を出し合うことで、気の合う仲間を見出してきたというタイプです。

 彼らの自己認識は非凡な能力に恵まれた「選ばれし者」。その意味で映画「X-メン」のミュータント(突然変異で生まれた超人)のような存在に近いとさえ思っている。合理主義を尊び、テクノロジー至上主義を信奉する一方で、人間の精神世界にはあまり関心がない。そして、さまざまな利害調整で混迷を繰り返す「民主政の国家」などは不合理のかたまりで、自分たちを邪魔する存在でしかないと考えています。

 20世紀までの天才は、大学や研究機関で生きていました。限られた予算の範囲でコツコツと研究に励み、自分の頭脳を信じて研究にいそしむ。俸給はさして恵まれなくても、長年の研究が大成功すればノーベル賞かフィールズ賞か。しかし、その影響力が学問の世界から大きく拡がることはありませんでした。

 ところが今世界に多大な影響をあたえている米国のハイテク企業を牽引する天才たちは、30代のうちからグローバル市場から集めた莫大な資本と、自分たちの判断を助けてくれるAIを味方につけています。そして、すでに国家と対立し、いずれは国家を超える存在になろうとさえしているのです。

 彼らの頭の中には、民主主義を否定する考え方が芽生え始めています。マスクがドナルド・トランプを支持するのはなぜなのか――そんなことも「橘玲のイーロン・マスク論」は解き明かしてくれます。

 夏の甲子園を沸かせた慶應義塾高校。OB・OGの方には申し訳ないですが、あの熱狂的な応援はちょっと異常ではないか、なぜ慶應出身者は母校がそんなに好きなのかという素朴な疑問から「慶應義塾の人脈と金脈」という特集を組みました。

 記事を読み進んでいただくとわかりますが、慶應義塾は仲間を信頼し、互いに助け合うことを奨励してきたという点で特色のある学校です。その意味で先のハイテク企業と比べると人間的と言えるし、オールド・スタイルの組織ですが、その一方で驚くほどシステマティックに人のつながりを形成し、寄付を集める構造を作り上げています。

 創立者の福沢諭吉は「社中協力」を訴え、同窓の親睦を深め、人間関係のネットワークを広げなければならないと考えていたそうですから、人間の社会というものを深く理解していたのでしょう。この偉人の教えは21世紀の今でも実践され、甲子園での熱狂的な応援につながっているのです。特集のひとつ「鉄の結束ゆえの驚異の集金力――その金脈」では、あるOBが次のように語っています。

「(同窓会組織の三田会は)楽しいから、好きだから、お金も時間も費やす。(略)でも、利害のない人間関係は人生を豊かにしてくれる。人はひとりじゃ生きていけないので」

 実社会に出て本業で忙しいなかにあっても、同窓会イベントの黒子として奔走し、後輩たちのために一肌脱ぐOB、OGたちの姿が印象に残ります。

 組織は神輿に乗る人とかつぐ人が両方いて成り立つもの。ノンフィクション作家・森功さんの描く安倍派研究(「森喜朗元首相に献上された疑惑の紙袋」)と「慶應義塾の人脈と金脈」を比べると、安倍派は神輿の上に乗りたがる人ばかり。慶應はかつぐ人が大勢いるからこそ隠然たる学閥パワーを保持していることがわかります。いわゆる安倍派5人衆をみても、神輿をかつぐ側にまわる気があるのは松野博一官房長官くらいという印象で、残りの4人は「我こそは後継に」と考え、本音では互いを認めていないことがうかがえます。慶應とは別の意味で人間的と言えますが、これでは組織としてまとまりようがありません。100人近くを擁する自民党の最大派閥にもかかわらず、安倍派が存在感を失いつつあるのも当然のことなのでしょう。

 作家の五木寛之さんが「昭和歌謡で万葉集を編もう」で、ブームが続く昭和歌謡の魅力を語り尽くしています。

〈近代以降、戦中・戦後を含めて昭和ほど、日本人が一生懸命に歌を作り、歌った時代はありません。それが次の世代へと伝わり、今も形を変えて昭和歌謡のブームが到来している。(略)私はいつからか昭和歌謡を何らかの形で後世に伝えたいと思うようになりました。どのような形で遺せばいいのかを思案しているとき、頭に浮かんだのは、「万葉集」です〉

「万葉集」は、天皇や貴族から、防人、農民まであらゆる人々が詠んだ4000首以上の歌が収められています。戦争に負け、誰もが貧乏に苦しんだ昭和の時代は、あらゆる階層の人が喜びも悲しみも共有することができた時代だったと言えるかもしれません。五木さんは「民衆の中に息づいている真の日本文化と言われると、やはり昭和歌謡しかありません」と断言します。

 現代はあらゆる面で格差と分断が広がりつつあります。このままでは昭和歌謡の数々の名曲も儚く消え去ってしまうかもしれない。だからこそ、「昭和万謡集」を編もうと五木さんは呼びかけています。

 本誌では年明けの2月号で「後世に遺したい昭和歌謡」のアンケート企画を、来春の号で「昭和万謡集100曲」を選ぶ企画を予定しています。どうぞご期待ください。

                      (編集長 鈴木康介)

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

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