著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、有賀薫さん(スープ作家)です。
三人きょうだいの長女だったから、母と手をつないだ記憶がほとんどない。母は末の弟を抱っこし、もう片方の手で妹の手をひき、私はその横に立つ。私が母に抱かれたり手をひかれたりする姿は、生後すぐのアルバムの中だけのものだ。
とはいえ、さみしい思いをしたわけではない。母は愛情深い人だったし、手先が器用でいろいろな手仕事を教えてくれた。小学生の頃は、私と妹のワンピースを縫っている母の横に座り、端切れや糸をもらってミシンや刺繍やかぎ針編みを覚えた。絵が上手で、「〇〇を描いて」と頼むと家事の手を止めて描いてくれる。その絵をお手本に、くりかえし真似た。
もちろん料理も母から教わった。教わるというより、台所で並んで絹さやの筋をとったり、青菜をゆでたり、餃子を包んだり。小さな積み重ねのうちに自然にできるようになったというのが近い。実家は客が多く、私が高校生ぐらいから先は母のアシスタント的な働きを求められて、料理はもちろんメニューの相談や買い物も一緒にやっていた。料理にうるさかった父と味つけのことなどで喧嘩をしたあと、これからの女性は家事だけではだめ、手に職を持って自立しなさいと、とばっちりを食うのがお決まりの流れだった。思うところもあったのだろう。母は若い頃は文学に親しみ、晩年には趣味で万葉集など学んでいたが、時代は女性にそうした能力を求めていなかった。
孫が生まれてからは、再び母の手の出番だ。風呂に入れ、おむつをかえ、抱っこする。こわごわ抱く私とは違い、安定感のあるふっくらとした手。抱えられた息子はすっかり安心しきった様子で、母の二の腕をつかんで離さない。
常に誰かのために手を動かし続けていた母は、がんで亡くなった。入院先の病院から、おそらく最後になるだろう一時帰宅をしたとき、久しぶりに母と床を並べた。ふとんの下で、そっと手をつなぐ。母の不安を取り除こうとしたつもりでいたのだが、本当は自分が不安だったから手を伸ばした。そのことをもちろん母はわかっていたと思う。
母のことを書けと言われたら、大きなエピソードがなく、小さな思い出の断片ばかりだ。でも、言葉より多くのことを、私は母の手に教わった。つなぐことのなかった手から作り出された親子のやりとりが、いまの自分につながっている。
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source : 文藝春秋 2023年11月号