父の中の少年

オヤジとおふくろ

金子 由里奈 映画監督
ライフ ライフスタイル

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、金子由里奈さん(映画監督)です。

 父は毎朝「歩きに行ってきます」と言って外へ出る。散歩というより、歩行というような感じ。十五分かそこらで牛乳を片手に帰ってきて、届いている新聞に目を通してテーブルに置くと、「ひとつだけ見出しを読んで」と兄やわたしに伝える。怒ることも派手に笑うようなこともない父からの唯一の習慣的な教育だった。

金子由里奈氏

 父は映画監督を生業としている。友達のお父さんのように出社することも車を運転することもなかった。夜まで家にいてずっと何かを考えているように見えた。たまにしばらく地方や海外へいき現場を終え、また三階の自室に籠るという姿が定番であった。

 そんな父の中には映画少年がいた。その少年に初めて出会ったのはわたしが五歳か六歳の時だ。夕飯を知らせるため父の自室をノックすると彼は絵コンテを書いていた。『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』(二〇〇一)で、温水洋一がトイレで小便をしている最中にゴジラに踏みつけられるあのシーン。一コマ一コマ、漫画のようなタッチで切り取られていた。そして少年は、それを映像でどう構築していくのか熱心に説明してくれた。めがねの分厚いレンズの奥にある瞳がキラキラしていて、声音も軽快にステップを踏んでいるようだった。ほんとうに楽しそうだった。制作の過程を目の当たりにし、映画になんだか親しみを覚えた瞬間でもあった。

 彼は時々「家族映画会」というイベントを開くことがあった。黒澤明やヒッチコック、深作欣二などの、いわゆる名作映画を上映する。気怠そうなわたしをよそに得意げに映画の概要を説明していた。「では、上映会します」と、部屋を暗くする。半ば強制的な鑑賞は快くなくとも、映画が始まれば私はそれに夢中になった。

 父の中にいる少年はいまでも健在だ。たまに実家に帰ると映画の構想を話してくれる。それは無邪気で時に無自覚な加害を孕む時もあるが、この場でそれを記載するのは控えておこう。

 わたし自身、曲がりなりにも映画監督という立場に立って、映画を撮るようになったら、あの少年とときどき目が合うようになった気がする。今年初めての商業映画が公開された私に少年は闘志をむき出しにしている。

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source : 文藝春秋 2023年11月号

genre : ライフ ライフスタイル