菊池寛なき文藝春秋

菊池寛アンド・カンパニー 第27回

鹿島 茂 フランス文学者
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菊池の解散通告に、社員は闘争本部を設け「大衆団交」を迫った

 玉音放送を菊池寛は雑司ケ谷の自宅で聞いた。長男の英樹は学徒動員されて北海道におり、妻の包子は長女の瑠美子と次女のナナ子、および瑠美子の娘の貴美とともに宇都宮に疎開中だった。菊池邸には社員や近隣の人々が身を寄せていたが、玉音放送に立ち会った菊池の反応を記録しておいた人はいなかった。

 だが、おおよその想像はつく。来るべきものが来たと、きわめて冷静に受け止めていたにちがいない。敗戦から1カ月半後に復刊された「文藝春秋」昭和20年10月号(9月20日印刷)の「其心記」の要約を以下に掲げてみよう。

(一)「文藝春秋」は「右傾せず左傾せず中正なる自由主義の立場」を保持してきたが、ここ数年来、自分の解釈によれば「良心と理性に依つて言動する」自由主義が非愛国的、戦争反対的であるとされてきてしまった。「國民の良心と理性とを彈壓しなければならないとすれば、國家の方針そのものに無理があつたわけだと思ふ」

(二)「敗戰については、あまり何も云ひたくない。が、その無念は、何人も綿々として盡きないだらう」。無念というのは、戦前の日本が「國運を賭して最後の一戰を試みた」というなら諦めもつくが、実際にはそれほどに追い詰められて開戦に至ったとは考えられないからだ。日清、日露の戦いとは異なり、「しなくつてもすんだ戰爭」をしたのだ。

(三)「敗因が、いろ〳〵(いろいろ)云はれてゐるが、最大の敗因は戰爭をしたことだと思ふ。(中略)間接の原因は、滿洲國の建設と軍部及び右傾團體の輿論の壓迫であり、直接の原因はドイツの勝利を信じたことと米國の國力の誤算であると思ふ」

(四)「國民はよく戰つたと思ふ」。国民に責任を転嫁するのは非道である。軍部の専横を阻止できなかった議会と言論機関の責任は軽くはないが、過去十数年にわたってテロと弾圧によって言論の力が奪われたのだから、無力になるほかはなかった。暗殺された者が非国民扱いにされ、暗殺者が憂国の志士になり、執行猶予になるという状況が続いたのだ。

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source : 文藝春秋 2024年3月号

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