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昭和最後の世代が初めて取材した田中角栄一家《眞紀子さんは「かわいそうな人」》

編集部日記 vol.42

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「田中角栄一家」と小社とは、あまりに因縁深い関係にあります。

 ジャーナリストの立花隆氏が「文藝春秋」1974年11月号に執筆した「田中角栄研究 その金脈と人脈」が“角栄退陣”のきっかけとなったことは、みなさんご存知だと思いますが、2002年8月に田中眞紀子氏が議員辞職する端緒も同年4月に「週刊文春」が報じた「公設秘書給与ピンハネ疑惑」でした。

 また、2004年3月には眞紀子氏の長女が、自身に関する「週刊文春」の記事に対し東京地裁に出版差し止め請求を行い、仮処分命令が出されました(同年3月、東京高裁で差し止め仮処分は取り消し)。

 もはや文藝春秋のジャーナル部門で働く者として必須テーマといえる「田中家」ですが、角栄氏最後の選挙となった第38回総選挙(昭和61年)の直後に生まれた私にとっては、今回の「目白御殿」焼失の取材が初めての接点となりました。

昭和58年7月、田中角栄邸にて。右が高野信義氏(高野氏提供)

 年明け早々の1月8日、テレビ画面に大映しにされたのは「燃え盛る目白御殿」。昭和を知る誰もが共有したであろう感慨は、単なる物的損失にとどまらない一時代の終焉への思いでした。

「“角栄邸と昭和の焼失”をテーマにやってみよう

 取材をスタートさせるにあたって、編集長はこう考えたそうです。

 しかしながら、記事の執筆者であるジャーナリストの森健さんとデスクとの打ち合わせの中でまず懸念されたのは、「角栄氏を直に知る人がほとんど亡くなってしまっている」ことでした。

1月19日、取材で訪れた新潟にて

 地元新潟の取材を任された私は、角栄氏の元秘書の著作や、当時の新聞雑誌記事を読み漁り、伝手を辿り電話帳を手繰るなどして証言者を探しました。そもそも電話番号が使われていなかったり、ご家族が対応した場合でも、既に亡くなってしまった方や施設に入られている方がほとんどでした。

 ようやく辿り着いたのが、記事中で証言を掲載した地元新潟の支援者である高野信義さん(91)、富所健太郎さん(76)、そしてファミリー企業である長鐵工業の元社員である穂苅英嗣さん(73)の3人です。「歴史の証人」ともいえる方々がお元気で、ご協力頂けたことは本当に有り難かったです。

高野氏の自宅資料室に今も飾られている角栄氏のカレンダー

 戦後経済成長の立役者である角栄氏の武勇伝と感謝の思いが口々に語られる一方で、娘の眞紀子氏に対しては厳しい意見が飛び交うであろうことは予想していました。家族以外の誰をも信用せず、人間には“家族、敵、使用人”の3種類しかいないと言い放った逸話もある彼女のこと。父親時代の流れで後援活動を続けてきた支持者たちも、地元にはほとんど顔も見せず選挙の時だけ協力を乞う二世議員には、愛想を尽かし切っていたのでした。

 ただ、高野さんをはじめとする関係者の口から出てきたのは、意外な言葉でした。

「眞紀子さんはかわいそうな人」

 それが、角栄氏とその娘を知る人たちに共通する見解だったのです。偉大すぎる父親、眩しすぎる父親への愛と憎しみ。その間で翻弄された運命の過酷さを、誰もが痛感しているように見えました。

角栄邸の池を掃除する魚沼の青年たち(高野氏提供)

「まあ、あれだね……、かわいそうな人だね。なんというか、ひとりぼっちというか。会社の社員であってもみんな怖がっているわけだからね」

「不思議と恨んだりしている人はいなくて、みんな『かわいそうだ』っていう感覚なんだよね。普通の人ではありえないような異様な環境で育てられたんだから」

 日本中の羨望の的であった「目白御殿」が焼け落ちた姿を見た時、読者のみなさんの胸に去来する思いはどのようなものだったでしょうか。

(編集部・佐藤)

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

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