生の現実を自分の目と耳で捉えない知識人『ひとはなぜ戦争をするのか』アインシュタイン/フロイト

ベストセラーで読む日本の近現代史 第129回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
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 戦争が起きる理由とその対処方針について、1932年に国際連盟の要請に応じて物理学者のアルベルト・アインシュタインと精神分析学者のジーグムント・フロイトが交わした有名な往復書簡だ。まず同年7月30日の書簡で、アインシュタインは以下の問題設定をする。

『ひとはなぜ戦争をするのか』アインシュタイン/フロイト

〈あなたに手紙を差し上げ、私の選んだ大切な問題について議論できるのを、たいへん嬉しく思います。国際連盟の国際知的協力機関から提案があり、誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換できることになりました。このようなまたとない機会に恵まれ、嬉しいかぎりです。/「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」/これが私の選んだテーマです。/技術が大きく進歩し、戦争は私たち文明人の運命を決する問題となりました。このことは、いまでは知らない人がいません。問題を解決するために真剣な努力も傾けられています。ですが、いまだ解決策が見つかっていません。何とも驚くべきことです。/私の見るところ、専門家として戦争の問題に関わっている人すら自分たちの力で問題を解決できず、助けを求めているようです。彼らは心から望んでいるのです。学問に深く精通した人、人間の生活に通じている人から意見を聴きたい、と〉

 そしてアインシュタインが意見を聞きたいと思ったのが精神分析学者のフロイトだ。その理由は、アインシュタインも戦争の原因が人間の破壊衝動にあると考えているからだ。

〈人間には本能的な欲求が潜(ひそ)んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!/破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときにだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのはそれほど難しくはないと思われます。多くの人が破壊への衝動にたやすく身を委ねてしまうのではないでしょうか。/これこそ、戦争にまつわる複雑な問題の根底に潜む問題です。この問題が重要なのです。人間の衝動に精通している専門家の手を借り、問題を解き明かさねばならないのです〉

知識人こそ暗示にかかりやすい

 2022年にロシア・ウクライナ戦争が勃発してから、欧米人、ウクライナ人、ロシア人の破壊衝動に火が点いてしまったようだ。日本でも平和や反戦を強調していたジャーナリスト、学者、評論家が「ロシアの侵略に対して、自由と民主主義を守るために武器を取って戦うべきだ」という主張をするようになった。一般国民はより冷静で、ロシア・ウクライナ戦争に関しても、イスラエルとハマスの紛争に関しても、停戦を支持する声が少なからずある。知識人(ジャーナリスト、学者、評論家はこの範疇に入る)の危険性についてアインシュタインはこう指摘する。

〈人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?/この点についてご注意申し上げておきたいことがあります。私は何も、いわゆる「教養のない人」の心を導けばそれでよいと主張しているのではありません。私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです〉

 実際に戦場で死に傷付く人のリアリティが欠如するから、日本のような安全圏から戦争を煽る無責任な主張をすることができるのだと思う。

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source : 文藝春秋 2024年6月号

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