日本弁護士連合会(日弁連)は1949年に設立され、今年で75年、弁護士制度の前身である代言人制度ができて148年になる。2月に日弁連で初めての女性会長に選出され、東京弁護士会初の女性会長に就任した時よりもはるかに大きな反響が内外から寄せられている。日本のマスメディアのみならず、外国でも話題となり、ブラジルの新聞にまで取り上げられたと聞き、大変驚いている。
折しも、NHKの連続テレビ小説「虎に翼」が就任と同時に始まり、大変な話題となっている。このドラマの話題性を狙って日弁連会長に立候補したのかと問われることもあるが、日弁連会長選挙はドラマの放映に合わせてできるような簡単なものではなかったと言いたくもなる。
このドラマは、志をもって高等試験司法科試験を受け初めて合格した3人の女性の一人である三淵嘉子氏を題材にしている。私が司法試験に合格し、司法修習生になった1981年に三淵氏は日本婦人法律家協会(今の日本女性法律家協会)の会長であった。すぐに体調を崩されたようで、ことばを交わすことができなかったのは残念なことである。
1940年に弁護士になった三淵氏は戦後、家庭裁判所の創設に尽力され、裁判官となり、最後は横浜家庭裁判所の所長をされた。合格者の一人である久米愛氏は東京で弁護士となり、日本婦人法律家協会を設立し、女性の地位向上のための活動をされた。もう一人の中田正子氏は配偶者の故郷である鳥取県にて、地域の女性の権利を擁護する活動を行うとともに、鳥取県弁護士会初の女性会長、日弁連初の女性理事などを経て、生涯弁護士として、長寿を全うされた。3人とも女性が法律家になる道を開拓した先駆者として、心より尊敬する。
戦後の資料によれば、1950年の女性弁護士は6名しかおらず、私が弁護士になった1983年には514人となった。それから40年が過ぎ、2024年には9200人となり、ようやく20%の割合を超えた。隔世の感である。
司法は、健全な社会の維持発展にとってきわめて重要なインフラであり、社会における多様性が司法にも反映されることが必要である。特に司法におけるジェンダーバイアス解消に向け活動してきた女性弁護士の役割を考えると、弁護士における女性の割合の確保は不可欠である。弁護士会に多様な意見を反映させるには役員の女性の割合が増えることも重要である。
「虎に翼」では、高等試験を受けることができても、女性には裁判官や検察官になる道が閉ざされていることに主人公は憤慨する。戦後ようやく、裁判官や検察官になることは可能になったが、組織内で女性を採用することを制約する風潮が生まれていた。1958年、日本婦人法律家協会は時の最高裁長官や法務大臣に対して、女性修習生の任官について差別しないようにとの要望書を提出している。先輩達の労苦に感謝したいと思う。
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