「また父で金儲けする連中か」
マット・サリンジャーはそう言った。彼は20世紀アメリカ文学を代表する作家、J・D・サリンジャーの息子で、私はサリンジャーの代表作『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のドキュメンタリー番組(『完全なる問題作』)を制作していて、その取材をお願いしたときにそう返されたのだった。
生前サリンジャーは公の場に姿を現さず、引きこもり生活を送っていたらしい。隠されれば知りたくなるのが人の性(さが)で、メディアは過熱。自宅の庭にいる姿の隠し撮りなど、パパラッチ的行為が繰り返された。それはサリンジャーをさらに排他的にしただろうし、息子に影響を与えてもおかしくなかった。
![](https://bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/6/b/1600wm/img_6b711f52bf6ab50cd0c03626c788ab8973460.jpg)
絶望的なマットの返答。だが、交渉の余地がゼロとも思えなかった。単なるパパラッチではないと知ってもらえればあるいは。一方で、連絡すること自体が暴力であり得る。私は慎重に判断した上で、番組の制作意図を一度だけ送ることにした。これで駄目なら諦める。果たして、事態は好転を始める。その趣旨はこのようなものだった。
今回の番組では『キャッチャー』の多様な姿を浮かび上がらせるとともに、サリンジャーの実像に迫りたい。特に彼が第2次世界大戦時に従軍していた事実と彼の小説の関係を示すことは、世界が不安定化する今必要なことだと思う。
マットに心境の変化を促したのがどの要素だったのか、はっきりとは分からない。だがきっと、今年がD-Day(ノルマンディー上陸作戦)から80年ということと無関係ではないだろう。経験者の多くが亡くなるに十分な80年という歳月は、記憶の継承/忘却という課題を浮かび上がらせる。
1944年6月6日、D-Dayにサリンジャーはノルマンディー海岸に上陸。その後、ヨーロッパ各地を転戦した。戦後はPTSDと思われる症状で、ドイツの病院に入院することになる。一般的にこの戦争経験が彼を変えたと言われている。
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source : 文藝春秋 2024年7月号