大学には「最終講義」という文化がある。
長年教育・研究に携わった場を去るにあたって、教員・研究者が行なう最後の講義だ。「別れの挨拶」のようなものと考えればよい。
30年余り在職した東京大学駒場キャンパス(教養学部・大学院総合文化研究科)を、定年まで1年残し、この3月末に早期退職するに際して、私もまた、そんな挨拶の機会をもつことにした。もう組織に属すつもりはなかったから、この大学のみならず、「大学」という場所で最後に行なう講義としてである。
脳裡にあった先例は、師や先輩たちの講義ではなく、私が評伝(岩波書店刊)を書いたミュージシャン、デヴィッド・ボウイの或るコンサートだった。それは彼にとって、みずから作り上げた「ジギー・スターダスト」というロック・スターのキャラクターを演じる最後の場だった。私は自分の最終講義を、「大学教授」というキャラクターを「演じる」ラスト・コンサートに見立てたのである。
その内容は――かなり荒削りな「ライヴ映像」だが――YouTubeで公開している(ご関心の向きは「田中純 最終講義」で検索してご覧いただきたい)。学外者も参加できるこの講義の最後に、ボウイの曲 Absolute Beginners のコンサート映像を上映することは最初から決めていた。聴衆の皆さんとともに「絶対的な初心者」でありたい、という願いを表わすためである。映像を視聴してそんな感慨を語ったとき、大教室の会場から温かいかけ声が挙がったことは、「講義」らしくない、予想外の嬉しい出来事だった。
肝腎の講義では、目下の研究対象である建築家・磯崎新が終生抱いた「廃墟」のヴィジョンを中心に扱った。とくにその背後にある「末期の目」こそが、ボウイ論をはじめとする自分の研究史を貫く関心の焦点だったからである。正確には、人生や世界の終末を見据える「末期の目」をもちながら、いや、もつがゆえに、そこから転じて積極的に建物や楽曲を作り上げようとする、彼らの強靭な創造的想像力への関心と言ったほうがよい。
「最終」講義という機会がそんな自覚を促したのだろうか。そうだとすれば、私は「大学」という組織に――大学人としての――「末期の目」を向けていたのかもしれない、といまになって気づく。
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