子どものころは旅どころか、遠足さえおっくうだった。本に耽溺すればどんな世界へも自在にゆけるのに、なぜでかけるのか、ふしぎでならなかった。
旅好きになったのは、ロマネスクに取り憑かれてから。旅なしではやってゆけないと気づいたのは、コロナ禍のとき。息がつまりそうに苦しく、気が変になりそうだった。今も、日々、旅を夢みている。膝の上の愛猫を撫でる至福の時も、授業中のふとした瞬間にも、旅への欲求がむくむくと湧きおこる。ロマネスク好きの仏文学者・粟津則雄はその現象を「病気」と表す。
ロマネスク美術を研究対象とすると、ヨーロッパの田舎への旅は必然となる。というのは、ロマネスクの彫刻、壁画、床装飾など美術はほぼすべて建築に付随しているので、現地にゆくしか見るすべがないからだ。しかも、10世紀末から13世紀、ヨーロッパ中で同時多発的に起こった大建築ブームなので、一生かけてもすべて見られないほど、見るべきものは多い。
19世紀初めの英国やフランスの好事家はこれらの建築物を古代ローマ建築の模倣とみなし、侮蔑的な意味をこめて「ローマ風」つまり「ロマネスク」と呼んだ。近年では、地域的多様性のため、この概念や用語を避ける向きもあるが、個人的には、愛着あるこの言葉を手放すつもりはない。
キリスト教の聖堂というと堅苦しいものを想像するかもしれないが、ロマネスク聖堂は、キリスト教の教義で説明しきれない意匠で溢れている。気弱そうな垂れ耳の猟犬と、眼ぢからのあるウサギ。女陰を開示する女。両方の鼻の穴から蛇が出ている変顔の動物など。スペイン北部では、「チョコボール」のキョロちゃんそっくりの怪物をみつけた。「チョコボール」を木の枝から採ってもいる。ロマネスクの工人のそんな遊び心にいつも心を射貫かれる。
かつてなんらかの意味を担っていたのだろうが、今はもう忘れ去られている。なんとかして、それを解き明かせないか。想定外で予測不能の造形を求め続けるうち、重度の「ロマネスク病」に罹っていた。
かれこれ30年ちかく、旅を続けて、わかってきたことがある。ロマネスクの造形も魅力的だが、中毒性があるのは、エアポケットに入り込んだかのような時空間の記憶なのではなかろうか。
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