大久保利通や牧野伸顕の血を引き、父・吉田茂総理の外交に随行するなど、“側近”として父を支えた麻生和子(1915〜1996)。次女の荒船旦子氏が、娘から見た母・和子の姿を語る。
母・麻生和子は吉田茂の三女として生まれ、当時の日本では珍しいほど自立した女性だったと思います。
子どもの頃から吉田の海外駐在に同行。吉田の妻の雪子が昭和16(1941)年に亡くなったこともあり、代わりに和子が、外務大臣や内閣総理大臣を歴任した吉田の“ファーストレディー”として海外に随行しました。生まれもっての社交性を発揮し、時に自身の考えを、吉田に進言することもあったそうです。
昭和13年に、後に麻生セメントの会長となり、衆議院議員も務めた麻生太賀吉と結婚します。三男三女をもうけ、吉田や夫の死後も、民間外交を続けました。
次女の私は吉田と両親がサンフランシスコ講和条約の調印に向かう2カ月前、昭和26年7月4日に生まれました。名前の「旦」の字は、水平線から日が昇る頃、「元日の朝」を意味します。間もなく日本の夜明けが到来する――そんな祖父や両親の思いが込められています。ただ、母は生まれたばかりの乳飲み子を置いて海を渡ったわけで、そう考えると、凄いことだなとも思います(笑)。
太賀吉は、自身が早くに父を亡くしていたこともあり、義父の吉田を本当の父のように慕っていました。吉田を支えるために代議士となり、吉田が首相を退任するタイミングで身を引きました。余談になりますが、吉田が乗っていたロールスロイスは、父が母とお見合いした時にイギリスで購入、後に吉田にプレゼントしたものです。吉田は亡くなるまでその車を大事にしていました。
ある時、新聞に「吉田茂の娘」として和子が紹介されたことがありましたが、その記事に母はいたく憤慨していました。私は事実なのだから気にすることはないじゃないと思っていましたが、今は母の気持ちも理解できます。吉田家に生まれたのは自分の意思ではありません。一方、麻生家に嫁いだのは自ら選択した道です。母は吉田の娘であることよりも、「麻生太賀吉の妻」であることを主張したかったのでしょう。
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