東洋と西洋の哲学を融合し、独自の哲学と京都学派を生み出した西田幾多郎(1870〜1945)。その思索の“独自性”と“普遍性”を生物学者の福岡伸一氏が読み解く。
西田幾多郎の構築した思想、いわゆる西田哲学は超難解である。まず第一に、「純粋経験」「行為的直観」「絶対矛盾的自己同一」といった独特の用語の意図するところが非常にわかりにくい。第二に、彼の著作の至るところに現れる、何々は何々しなければならない、という命令調・断定調の文体が極めて取りつきにくい。
10年ほど前から、西田哲学とがっぷり四つに格闘することになった。それは西田哲学の中に流れる通奏低音が、私の生命論である動的平衡の思考と極めて似かよっていることに気づかされたからだ。じっくりと西田の著作に向き合い、彼の苦難に満ちた人生に丁寧に寄り添ってみると、孤独な、そして真摯な思索の過程が少しずつ解き明かされていった。そしてそれが、日本から発せられた独自の、それでいて広い普遍性をもった稀有なる世界観・生命観であることがわかり驚かされた(『福岡伸一、西田哲学を読む』)。
西田は、石川県河北郡(現・かほく市)に生まれた(当地に西田幾多郎記念哲学館があり、直筆原稿など彼の思想史に身近に触れることができる)。
苦労して東大に進むものの選科(聴講生)入学だったため差別感を味わう。若くして姉弟と子供の死、父の破産、妻との離婚などの苦難と遭遇する。彼は、哲学は悲哀から始まる、と語っている。
これからもし西田哲学を読んでみようと思う方がいれば、ひとつ言えることは、西田の代表作『善の研究』から入ると挫折しやすいということだ。この本は確かに西田哲学のエッセンスが盛り込まれているが、若書きの気負いすぎとやや生煮えの部分があり、読者に対して不親切なところが多々あるからだ。
むしろ晩年に書かれた生命論(西田幾多郎全集、「生命」)から入門すると西田哲学の要諦に触れることができる。ここでは彼の哲学の中心的な言明、生命とは絶対矛盾的自己同一の存在である、という命題が語られる。西田が、絶対矛盾や絶対無など「絶対」を使うときは注意が必要だ。これは、西田がこれ以上説明できないときに発する悲鳴のような言葉であり、絶対矛盾とは矛盾しているようにみえるがそうではなく、相反することが同時に共存している状態、絶対無とは単なる無ではなく、有と無が同時に存在している状態のことを指す。そして我々が生きているということは、つまり生命とは、分解と合成、酸化と還元、要素と全体の往還など逆向きの反応が同時存在しているというところに立ち現れる。
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