古代ギリシャ哲学の泰斗・田中美知太郎(1902〜1985)は、戦後の論壇に一石を投じた。今年1月に田中の論集『戦争と平和』(中公文庫)を編んだ経済学者の猪木武徳氏が、その文業を振り返る。
昭和は、日本人が精神面でも経済面でも「過剰」と「不足」の両極端を経験した振幅の大きな時代であった。膨大な犠牲の末に迎えた終戦も、日本社会に望ましい転換だけをもたらしたわけではない。そして戦後の日本経済の復興と繁栄は、多くの日本人の忘れっぽく飽きやすい気質の意図せぬ結果でもあった。
そうした前のめりと浮沈の時代に、「政治」という古典的な問いにこだわった田中美知太郎は、長期的視野から現実世界を観続けた「不動の賢者」にもたとえられよう。
田中はプラトンを中心とするギリシャ哲学の文献学者であると同時に、現実的視座を持つ同時代の観察者でもあった。プラトン研究をベースに日本の政治を見つめ、信ずるところを率直かつ明晰に語り続けた。
その好例は『読売新聞』に1959(昭和34)年から1966年まで連載された「論壇時評」だ。論ずるにあたって、「わたしの関心は言論そのものにあるのであって、論者もしくは筆者個人については、特別の関心はない」と言明し、立場の違った意見も多く取り上げ、自由かつ公平に論じた。プラトン哲学が「古代」や「ギリシャ」に限定されることのない、普遍的価値を持つ人類の知的遺産だとの確信から生まれた姿勢と言えよう。内輪褒めや党派性に傾きやすい論壇や書評の世界を、健全な論争の場へと向わせた田中の貢献は大きい。
わたしは1964年4月に京都大学に入学した。田中が定年退官する1年前である。同じ頃、東洋史の宮崎市定、中世哲学の高田三郎らも退官を迎えている。友人に誘われて田中教授の最終講義に紛れ込み、講義会場が満員だったことに驚いたものだ。世情は、日米安保改定問題や三井三池争議の後、「政治から経済の季節へ」と移ったと言われていた。だが大学内では、人の教養と知性は、マルクス経済学の理解やマルクス主義との関わり方で測られるような雰囲気であったから、文学部を別世界のように感じたのだ。
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