『サザエさん』で知られる漫画家・長谷川町子(1920〜1992)。昭和21(1946)年に新聞連載がスタートした国民的作品は、現在もTVアニメとして人気だ。磯野ワカメのモデルとも言われる現在パリ在住の姪・長谷川たかこ氏は、新聞連載当時、町子と同居していた。
わたしが6歳になったばかりの時、父が亡くなり、母は妹とわたしを連れて実家に戻った。それから22歳で家を出るまで、わたしは伯母の町子と一緒に暮らした。
家の中は、新聞連載をしていた町子中心に回っていた。毎日、社会背景に添った四コマ漫画を産みだすプレッシャーなど想像もできなかったが、彼女が2階の仕事場で「案を練っている」間は、その緊張が階下まで伝わってくるようだった。
生涯独身で、ふつうのサラリーマン家庭の日常など全く経験のない伯母に、どうしてあんな漫画が、あれほど長い間描けたのか不思議だ。
案が浮かぶと、ダダッと階段を降りて来て、わら半紙に鉛筆書きしたいくつかの案を、母とわたしに見せる。『サザエさん』の読者層は“7歳から70歳まで”と言われていたので、子供の意見も聞きたかったのだ。「これが一番面白い」とわたしが言うと「でも昨日より笑わなかった」「こっちのほうが面白いはず」となかなか納得しない。反応がイマイチだとまた「別の案を考える」と2階に上がっていく。それは自分に厳しい人だった。
仕事をしているときの伯母を「邪魔しちゃダメ」とは言われていたけど、わたしが部屋の隅にいても町子は何も言わなかった。庭に面した仕事机の前に正座し、隣にはいつも猫が寝ていた。畳の香りがするその部屋で、映画雑誌を見たり、靴やアクセサリーを眺めるのがわたしは好きだった。22センチと小さい足をしていた伯母のイタリア製の靴。スーツに合わせた淡いグリーンの革手袋……うちにいるときは猫の毛だらけのセーターとスカート姿なのに、出かける時は見違えるほどお洒落だった。
当時、家族は上の伯母の毬子(マー姉ちゃん)、町子、母の洋子の三姉妹に祖母、わたしと妹、という女所帯。「父親的存在がいない」のを心配した母が児童心理学者に相談に行き、事情を説明したら「いや、お宅はお父さんが四人いるようなもんです」と言われたそうだ。
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