棟方志功 日本のゴッホになる

石井 頼子 棟方志功研究家
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「日本のゴッホになる」という夢を成就した版画家・棟方志功(1903〜1975)。棟方研究家で孫でもある石井頼子氏が“昭和とともに生きた激動の人生”を振り返る。

 版画家・棟方志功の画歴は昭和の歴史と見事に重なる。明治の末青森に生まれ、大正時代『白樺』に掲載されたゴッホの絵に触発されて油絵描きを目指した棟方は、大正末期に21歳で上京。目指す「帝展」には4年続けて落選した。

 版画との出会いは大正15年4月。川上澄生の版画に心惹かれ、自分でも創作を試みたのが昭和2年のことだった。折しも創作版画運動の全盛期で、多くの美術団体に版画部が新設された。昭和3年正月の第8回日本創作版画協会展、4月の第6回春陽会展に版画作品を出品。そのほとんどが入選した。皮肉なことに油絵で帝展に初めて入選したのも同じ年。油絵か版画か心は揺れた。

 やがて「遠近感が掴めない弱視の自分には、平面的表現の版画の方が向いているのではないか」と思い始め、西洋人の後塵を拝する立場の油絵より「日本にはゴッホでさえも憧れた版画の伝統というものがあるではないか」と気付くに至る。

棟方志功 ©文藝春秋

 昭和7年、国画会で国画奨学賞を得、作品がボストン美術館等の買い上げとなったことを機に、版画家として歩むことを決意する。しかし版画の価値は低い。生活の為に児童書の挿絵を描き、そこから文学者たちとの交流を広げていくことになる。

 昭和10年、国画会の会友となり、無審査で出品出来るようになった棟方は、翌春「大和し美(うるわ)し」を会場に持ち込んだ。これを見初め、同年秋に開館する日本民藝館の為に買い入れたのが柳宗悦ら民藝運動の指導者たちであった。民藝運動自体、大正末期に始まり、昭和に動き始めたものである。独学独自の道を進んで来た棟方だったが、初めて師を得て急成長を遂げ、わずか数年の間に後に代表作と呼ばれる作品群が続々と生み出されていった。

 終戦間近の昭和20年4月、棟方は富山県の南西部、西礪波郡福光町(当時)に疎開した。5月の山手空襲で代々木山谷にあった家は全焼。それまでに制作した作品、板木のほとんど全てを失い、戻る家を無くした棟方は、40代の6年8ヶ月を福光で過ごすこととなった。福光は真宗王国富山の中でも特に信仰深い土地柄で、文化度も高い。棟方は多くの文化人たちと交流し、戦災で失った作品の穴を埋めるべく精力的に作品を制作した。精神性を深め、作品を作り溜めた福光時代が、東京帰還後の棟方の飛躍的な活躍を促したと言っても過言ではない。

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source : 文藝春秋 2024年8月号

genre : ライフ 昭和史 アート ライフスタイル