藤澤清造生誕一三〇年

巻頭随筆

西村 賢太 作家
エンタメ 読書

 その昔のこの世に、藤澤清造と云う私小説作家がいた。

 余程の小説好きでもない限りは、古今東西の殆どの小説家の名前なぞ、所詮は知る人ぞ知るの類であろう。なので該作家のことも、ここで殊更にそのマイナー性を強調したり、己れのみが知ってるつもりの気負った紹介を施したりする必要も感じないが、いっときは新進作家の列に連なり、黎明期の、まだ文芸看板だった本誌にも創作欄や、この随筆欄に頻繁に登用されていた存在ではある(菊池寛と仲違いをし、5年程締めだされていた時期もあるが)。

 で、1889年に能登の七尾に生まれたこの私小説家は、本年が生誕130年と云うのにあたっているわけだ。

 同じ年の生まれには内田百閒や久保田万太郎、室生犀星、夢野久作らがあるが、これらの作家にはそれぞれ読者も多く、各々その節目の年に何かしらの顕彰が行なわれていることだろうが、本年立て続けに刊行されている藤澤清造関連の文庫本は、私としては実はその流れと無縁にやっているつもりである。

 私が会ったこともない藤澤清造を勝手に“師”と崇め、別に許可を得たわけでもないのに“歿後弟子”なぞと名乗り、臆面もなく半狂人ぶりを晒し続けていることは、尚と知る人ぞ知る事実である。創作、エッセイを問わず書くものの殆どの中に“藤澤清造”を練り込んで、読者や編輯者をウンザリさせ、自分で自分の首を締め続けている愚の書き手であることも、小説好きの間では更にひと握りの人が知る事実である。

 だが、私はそもそもが藤澤清造の“歿後弟子”たる資格を得る為に、自分も中卒の馬鹿の分際で小説を書いているところがあるので、その辺りの狂態については、もうどうでも良い。従って3月に、件の清造練り込み作で構成した第一創作集の、3度目の復刊(角川文庫)、5月にこれまでに書き散らした該作家に関する文章を集めたエッセイ集(講談社文庫)の自著2点の“露払い”に続き、7月に藤澤清造の短篇集(角川文庫)と、8月にまた別の清造短篇集(講談社文芸文庫)を編んで校訂を施し、現在はそのあとに出る長篇の代表作「根津権現裏」(角川文庫)の再校訂を粛々と行なっている、謂わば清造漬けの日々に対しては、何んの衒いも気恥ずかしさもない。土台、頭の中が年百年中の二六時中、この私小説家のことで占められた状態で生きている者にとっては、かような生誕何十年とか歿後何十年の節目だからと云って、特に意気込むことはない。連日を清造追尋で経(た)て続けているからだ。

 とは云え、それとは無縁のつもりだと嘯いてはみても、本年に集中的に重なる清造の刊行物は、やはりこの節目あっての賜物との側面は否定できない。実際、その何れもが、はな“生誕130周年”との前提があったからこそ通った企画ではある。今、その作を世に問う意味よりも、今、その作を出す理由や建て前の方を提示することの方が、刊行の実現可能の道であることは止むを得ぬところだ。

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source : 文藝春秋 2019年10月号

genre : エンタメ 読書