増税前の出版ラッシュか、このところ魅力的な新刊が次々と刊行され、買っても買っても追いつかない。嬉しい悲鳴をあげつつ読んだ中から3冊を紹介するにあたって、今回は〈タフな子供時代〉をキーワードに据えた。
翻訳物を読む醍醐味の1つは知らない世界と出会えることだが、アルプスに暮らす男の生涯を描いた『ある一生』には、最初の1頁目にして「ヤギ飼い」が登場する。ヤギ飼い。一体ここはどんな世界なのかと、のっけから心を鷲づかみにされた。
主人公のエッガーは瀕死のヤギ飼いを背負って雪山を下るほど逞しい男だが、その過去には悲痛な子供時代がある。母との死別。養父の暴力。孤独。何も与えられずにアルプスの村へ放りだされた彼は、自らの手でこつこつと生活の足場を築き、成人後にようやく幸せを手に入れる。ああ良かった――という小説かと思いきや、今度はその幸せをことごとく奪い去られていくのである。山中に借りた小屋は雪崩に潰され、最愛の妻も犠牲となる。開戦後は8年以上の捕虜生活を送り、ようやく故郷へ戻った時には仕事を失っている。やりきれない仕打ちの連続ながらも、なぜだかラストに妙な爽快感が広がるのは、彼がつべこべ言わずにその人生を引きうけ、勇敢に生ききったからなのか。痛ましくも力強い生と死が焼きつけられた1冊だ。
〈(本文139頁より)自分がどこから来たのかは覚えていないし、自分が最終的にどこへ行くのかもわからない。だがそのあいだの時間を――自分のこの一生を――エッガーは悔いなく振り返ることができた。〉
一転し、フランス人作家の筆による『三つ編み』は女たちの冒険譚だ。インドのスミタとシチリアのジュリア、そしてカナダのサラ。それぞれ困難を抱えた3人の物語が、まさに三つ編みのように交差して紡がれる。とりわけスミタの境遇の過酷さは生半可ではない。
不可触民のスミタは他人の糞便を素手で拾い集めるのを生業としているが、6歳の娘ラリータには同じ思いをさせたくない。ダルマの呪縛から脱するべく、娘にはなんとしても教育を受けさせたい。その宿願が叶い、ようやく学校に通えるようになったラリータを待っていたのは差別と虐待だった。
逆らうことの許されない母と娘は、しかし、敢然とその運命に立ちむかい、自由を求めて村を出る。その逃亡劇は迫力と緊張感に貫かれ、夫をも捨て去る母の愛に圧倒されながら、心の中で私は幾度となく叫んだ。逃げろ、逃げろ、逃げろ。
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source : 文藝春秋 2019年10月号