ティン・パン・アレーの流儀

林 立夫 ミュージシャン
エンタメ 音楽

 生まれは杉並だけど、子ども時代を過ごしたのは青山。都電に乗って、青山学院初等部に通っていた。といっても、1951年生まれの僕が育った青山界隈は長閑の一言。12歳でドラムを叩き始めた時も、当時エアコンなんかないから窓を開けっ放しで練習していたけど、苦情は来なかった。高校時代、細野晴臣さんの家にドラムを運んだ時なんか、タクシーの運転手が積むのを手伝ってくれてね。おおらかな時代でした。

林立夫氏

 年の離れた兄と姉はじめ、年上の人たちに末っ子的にかわいがってもらったことも大きいですね。ドラムを始めたのは、慶応でバンドをやっていた兄の影響。後に世界的デザイナーになった山本耀司さんが、そのバンドのボーカルとギターだった。姉と結婚することになる義兄も音楽をやっていて、当時六本木で話題だった野獣会のメンバーともつきあいがあったみたい。

 その縁でザ・スパイダースをやっていたムッシュことかまやつひろしさんと仲良くなった。ムッシュ、青学の先輩なんですよね。スパイダースが出演中の銀座ACB(アシベ)に顔パスで入れてもらったり、本当に甘えさせてもらいました。学校帰りに六本木や赤坂に足を延ばすと、先輩連中が一緒になって遊んでくれる。六本木と言ったって、目立った店はハンバーガーインとか数軒くらいしかなかったけど、そのぶん集まってくる人たちはとんがってた。

 だいぶ後になって、ムッシュが青学の会報に「いつまでたってもまだまだだと思っちゃう自分がいる」みたいなことを寄稿しているのを読んだんです。ムッシュらしい柔軟さを感じたな。だからこそ高校生だった僕のことも分け隔てなくかわいがってくれたんだろうし。変に手馴れたくない、いつも新鮮な気持ちでいたいという姿勢には間違いなく影響を受けてます。

 細野さんや同学年の鈴木茂、松任谷正隆たちと組んだティン・パン・アレーのアルバムが出て来年で50周年と聞いてもどこか他人事なのも大げさだったり重々しくなったりするのが苦手な気質が関係しているのかもしれない。

 何はさておき大切なのは音楽。何ならドラムなんかなくたっていい。楽器のために音楽をやってるんじゃなく、音楽のために楽器をやってる。「あれもできます、これもやります」じゃなく、この曲、このメロディのよさを最大限活かすために「何をやらないでおくか」。ティン・パンの流儀がまさにそれだった。

 そんなティン・パン・アレーのスタイルが確立したのが荒井由実時代のユーミンの、(演奏とプロデュースを担当した)最初期のアルバム3枚なんです(『ひこうき雲』『MISSLIM』『COBALT HOUR』)。最初に会った時は、まだ立教女学院の高校生だったんじゃないかな。歌詞にしても曲にしても、すでに完成している印象があった。

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source : 文藝春秋 2024年12月号

genre : エンタメ 音楽