池田満寿夫 麻雀はいつも負け

川島 猛 アーティスト
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版画家としてのキャリアを皮切りに、作家、映画監督などマルチな才能で世界のアート界で活躍した池田満寿夫(1934〜1997)。画家・川島猛氏が彼の素顔を明かす。

 昭和46(1971)年頃でしょうか。マスオさんはニューヨークで、僕のご近所さんでした。歩いて5分ほどのソーホーに住んでいたんです。昭和40年、彼はニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開き、帰国する予定が、そのまま住みつきました。当時のニューヨークは映画『ウエスト・サイド・ストーリー』みたいに街全体がエネルギッシュ。その熱気がアーティストたちを引き寄せ、展覧会があちこちで開かれていました。二人で「あの展示は面白かったよ」なんて情報をよく交換したものです。

池田満寿夫 Ⓒ文藝春秋

 その後、彼は近郊のロング・アイランド島へ移りました。訪れるといつも満面の笑みで出迎えてくれて。夏は現地のアーティスト対ライターさんで野球大会を開いたり、海で泳いだりして思いきり遊びましたね。そういえばイサム・ノグチさんも、体力づくりのために島でよく泳いでいらっしゃいました。

 マスオさんはとにかく人を喜ばせることが好きでした。卓球大会をすればみんなで朝から晩まで夢中になり、カラオケ大会で彼はバドワイザーを片手にロシア民謡みたいな曲を歌いながら踊ったり。僕たち夫婦の結婚披露宴も企画してくれました。

カラオケ大会での池田(右)と川島氏(本人提供)

 日頃から大勢の人に囲まれていましたが、周辺がさらに活気づいたのは昭和52年のこと。小説『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞した後は、時差に関係なく仕事の電話がかかってきていました。優しい彼は決してNOといわない。かなりの依頼を受けていましたよ。僕たち仲間もお祝いに駆けつけ、受賞記念の麻雀大会を催しました。誕生日など、ことあるごとに夕方から朝まで麻雀をしていたんですが、いつも彼は負け越すんです。でも、このときばかりは花を持たせて勝たせてあげました。

 日本で授賞式に参加後、ニューヨークへ戻ってくるときに、経由したアンカレッジの空港で止められたそうです。ぼさぼさ頭で、流行のヒッピースタイルだったからでしょうか。「オレは池田満寿夫だっ!」と訴えたそうです。ニューヨークに到着するなり、僕の家へやってきてすごい剣幕で話してくれました。その様子を妻と二人で「馬鹿じゃないの!?」と笑って聞いていました。

川島猛氏(本人提供)

 当時、彼はアーティストのリラン・ジーさんと暮らしていました。リランさんは美しくて繊細なアメリカの画家でした。マスオさんは怒りを日本語でぶちまけたくて、うちへやってきたのでしょう。受賞後、僕は妻に「彼はリランと別れるな」とつぶやいたことがあったそうです。予感は的中しました。まもなく、バイオリニストの佐藤陽子さんが新しいパートナーとなりました。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

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