「はじまり」に戻る意味
どんな国のいかなる体制にも、自らの「はじまり」を語る神話がある。
アメリカ合衆国であれば、メイフラワー号や独立宣言の形で語られるが、近年のリベラル派はそれを「最初の黒人奴隷の連行」に替えようと試みた。だが独立の目的が奴隷制の維持にあったかのような、史実に反する改変が批判され、むしろトランプ再選の追い風になっている。
私たちにとっては1945年夏の敗戦が、やはり起源の神話として論争を呼ぶ。そこから始まったのは平和国家という「善きもの」か、戦勝国への屈従という「悪しきもの」か。それが長らく、日本ではリベラルと保守を分かってきた。
しかしそうした過去との接し方に、いまも血は通っているだろうか。左右ともマンネリズムに陥り、実感を欠いたまま歴史を使い捨ててはいないだろうか。
石川淳といっても、太宰治や坂口安吾と並び無頼派と称された時代の記憶は、もう薄い。しかし1946年の代表作「焼跡のイエス」は、私たちを戦後日本のはじまりの場所へと連れてゆく。
一見すると三人称の文体で、肉欲に溢れる上野のガード下、闇の飯屋街の描写から始まる。しかし短編の半ばで、突如一人称の「わたし」が姿を現わす。あたかも未来から眺めていた観察者が、ふと過去のワンシーンに落下したかのように。
猥雑な闇市の中ですら不潔さを忌避される、ボロをまといウミを垂らす浮浪児がいた。しかし彼に持ち物を盗られるわたしは、賤視にひるまぬその子の不思議と堂々とした態度に、畏怖を覚える。たとえばイエスも、そんな人ではなかったか。真に新しく時代を開く者は、既存の価値づけ一切を無効にするのだから。
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