柳田國男の高弟として日本の民俗学の基礎を築いた折口信夫(おりくちしのぶ)(1887―1953)は、民俗学、国文学、神道思想を融合した「折口学」と呼ばれる新しい学問の地平を開いた。また、歌壇では釈迢空(しゃくちょうくう)の号で多くの優れた歌集、歌論を残している。歌人の岡野弘彦(おかのひろひこ)氏は折口最晩年の内弟子として、その謦咳に触れた。
昭和18年から亡くなるまでの10年間、折口信夫博士の講義を聴き、殊に最後の7年間は家人として起居を共にして教を受けた。
折口は「文学史」や「民俗学」「神道概論」の講義の初めに、「皆さんの偶像を破壊するような話をします」と前置きして、講義をすることがよくあった。それにつけて思い出すのは、平野謙が戦後に書いた「アラヒトガミ事件」である。天皇即神論がしきりに鼓吹されていた昭和18年、日本文学報国会理事会の席でアラヒトガミの用例について、長い論争が起きた。折口はその時「古代から現人神(あらひとがみ)は天皇お一人に限って言う言葉ではありません」と実例をあげて発言している。
ずっと以前から、天皇は神にあらずして神の御言持(みこともち)なのだと説いてきた折口にとって、当然のことだったろうが、戦時中の発言は勇気の要ることだったに違いない。

戦後の折口は、「我々が戦に敗れたのは、我々の信仰がキリスト教国の信仰に敗れ、我々の神が彼らの神に敗れたのだ。それをただ、科学の進歩や物量の豊かさに敗れたのだという表面的な反省にとどまっているのでは、50年後の日本の存立は危いよ」と説いてやまなかった。そして、一民族教としての我々の信仰を、広く人類教にまで昇華させることを真剣に考え、論文や講義において、その途方もなく大きく困難な問題を追求しつづけた。
もともと、師の民俗学者柳田國男が日本人の神を祖霊信仰としてとらえたのに対して、折口は海の彼方から時を定めて来訪する「まれびと」の信仰を重く考え、より広い宗教的視野を持っていた。敗戦後は一層広く、比較民族学的な視野に立ち入っている。
さらに敗戦後の変化の一つは、出雲系のスサノオやオオクニヌシの神の激情を詩歌の作品に表現し、その愛憎の心に強い共感を示していることである。折口は8世紀初頭に大和宮廷で成った『日本書紀』や『古事記』の出雲の神の「国譲り」に関する内容を、自らが戦に敗れた体験から、より身にひきつけた切実な心で見直さないではいられなかった。大和系の神よりも、よりこまやかな人間への愛や怒りをもって行動する出雲系の神が、争に敗れて流離したり、隠(かく)り世に籠ったりする無念の伝承を、敗戦の民がいままざまざとたどっている運命とかさね合せて、そこから自分たちが持つべきより広い人類教への緒口を見いだしてゆこうとしたのである。
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source : 文藝春秋 2006年2月号