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 当時はスペイン風邪の正体であるH1N1型のインフルエンザウイルスを直接観測する電子顕微鏡が存在しなかったこと(人類が電子顕微鏡でウイルスの観察に成功するのは1930年代である)。よってスペイン風邪の原因が当時の人々には全く不明だったこと。そしてそれに相まって、細菌より小さなウイルスが引き起こす感染の連鎖を、現在よりもはるかに人口密度が希薄で大都市部での通勤者が少なかった半農国家の大正日本ですら、根本的に止める術を持たなかった、という事に尽きる。内務省はこの爆発的感染の状況を、

<昨年来欧米諸国にびまんせる流行性感冒は伝播の迅速なる瞬間四方に波及し、貴賤貧富の別なくその災害に罹らざる者、ほとんど稀なり(新潟県、内務省,153)>

<学校内またはその周辺村落に流行のきざしあるとき一時学校を閉鎖するは伝播を断ち禍を少なからしむる上で効果大なるを以てしかる場合には適宜の措置をとる様奨励したるがため、学校の全部または一部を閉鎖せるところまた少なからざりき。然れどもその多くは閉鎖の時期遅れ、すでに多数児童の本病に犯され欠席者増加し、やむなく閉鎖せるもの多かりし(内務省,224)>

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 と表現するぐらいだから、全社会階層で感染爆発が起こり、打った対策は感染爆発の前では遅すぎて満足な効果を出せず、結果累々たる屍の山を築いたことは想像に難くない。

現代とそっくり? スペイン風邪「4つの対策」とは

 とは言え内務省を主導としたスペイン風邪対策は、以下大きく4つに分かれ、驚くべきことにこの対策は今次コロナ禍における現代の対策と大きく違うところは無い。

 それは第1に、電車、工場、劇場、興行、集会など人が密集する場所を避ける訓示。第2に、うがい・手洗いの励行。第3にマスク着用の啓発。第4に予防接種の実施である。この4つが殆ど当時の日本が出来るすべての対策であった。

当時のアメリカの電車内の広告。スペイン風邪対策として「Keep Your Bed Room Windows Open!」(寝室の窓を開けるように)と宣伝されている ©getty

 今次コロナ禍では「人との接触を7~8割減らす」をスローガンに飲食店やイベントの自粛が行われて久しい。強制ではないもののお上の要請を忖度するかたちで、多くの飲食店や興行等は中止になり現在を迎えている。1921年(大正10年)1月、内務大臣・床次竹二郎(とこなみ たけじろう・原敬内閣下)により「流行性感冒予防心得」が出た。この心得は大流行が一段落してからの総括的なものではあるものの、それによると当時の心得は驚くほど現代と似ている。

<丙 集会、集合の制限

 一、 演説会・講演会・説教等

 流行時にはなるべくこの種の会合を見合わすこと。

 

 二、 学校・幼稚園等

 学校閉鎖 学校内、学校所在地およびその近傍において患者発生の場合は状況により、速やかに全校またはその一部を閉鎖すること。

 

 三、劇場・寄席・活動写真等

 流行時には入場者のマスク使用を奨励し、衛生施設を一層厳密にし、状況により興行を見合わすこと。

 

 四、 祭礼・祝賀会・法会・葬式等における多人数の集合はなるべくこれを避けること。

(内務省,180より)>

 100年前も、現在の自粛ムードと似ていることがわかる。しかし学校は前記の通り閉鎖した地域は多かったが、劇場や祝賀会などの催し物が自発的に閉鎖・中止されたかどうかは定かではない。たしかに当時、力士に感染が認められたので巡業が中止になったなどの報道はあるが、各商店や劇場が自発的に営業を中止したという記録は寡聞にして聞かない。それどころか内務省を主導として、各地の劇場や寄席、理髪店で「マスク着用、うがい励行」などの講演会を上演したぐらいだから、現代のような一斉自粛とは程遠かったのが実情のようだ。