大正時代の日本は古典的な自由放任経済であり、民間経済活動に政府が口を出すことはよほどの事由を除きはばかられた。資本家による無秩序な開発は抑制より奨励の方針であった。政府による産業統制が確立され、中央からの指示が各産業団体や組合を通じて、産業構成員の末端にまで行き届き、統制的経済社会になるのは世界恐慌ののち、日中戦争前夜の1930年代半ばくらいからである。
だから大正時代の当時は、スペイン風邪による休業要請というものが存在しない代わりに、当然のごとくその公的補償についてはまったく語られていない(工場が操業中止した場合には作業員に必要な手当てを〈雇用側が〉出したほうがよい、という意見程度)。今次コロナ禍では休業要請と補償の問題が取りざたされているが、自由放任経済であった大正時代では、こういった問題は基本的に起こらなかった。
100年前もマスクの「不正商人」がいた
公衆衛生の概念が著しく低かった当時、内務省が大々的に奨励したのがうがい・手洗いとマスクの着用である。とくにうがい・手洗いについては、重曹を希釈したもの、食塩水、過酸化水素水などを用いた口腔消毒が推奨され、県によってはうがい薬の無償配布などが警察署を通じて行われた。大流行を止めるまでには至らないものの、この奨励は一定の効果はあったと思われる。
さらにマスクの着用については効果大である、として初期から盛んに推奨された。以下、興味深かった東京府(当時は都ではなく府)、神奈川県、茨城県の3事例をあげる。
<【東京府】マスク・うがいの奨励は衛生懇話によりまたは印刷物の掲示配布、あるいは活動写真館、劇場等における予防の宣伝により大いにこれを奨励したるも、マスクのごときは供給需要に応ぜず、ために不正の商人暴利を貪る等の事実ありて、これが奨励上支障を少なからざりしを以て各警察署をしてこれら不正商人の取り締まりを厳重に行わしめ、一面家庭においてこれが製作を奨励し(中略)活動写真館、劇場入口その他道路交差部において廉売せしめたるにその効果大にみるべきものありたり。(内務省,200)>
<【神奈川県】大正9年1月に至り患者数激増すると共にマスクを使用する者もまたにわかに増加し、ために市価暴騰し1個35銭より80銭に達したるため、一般の使用普及に障害少なからず、よって県は自らこれを製作し実費を以て一般に提供せんと企て(中略)その結果、僅々数日間に予定数1万1600個を作製し、販売価格は1個5銭にして約半数は学校、諸官公庁等の需要に応じ他の半数は一般に提供したり。(内務省,201)>
<【茨城県】マスクは宿屋、料理屋、飲食店、理髪店、鍼灸按摩術営業等の接客業者はもちろん、活動写真館、劇場、寄席等における観覧人ならびに従業者、公私立学校職員、生徒児童、諸工場、銀行、会社等なお多衆集合する場所に出入りする者に関し、半ば強制的にマスク使用を推奨したるのほか、一般にこれが使用を宣伝したる結果、マスクの使用著しく増加せり。(内務省,201)>
現在のコロナ禍と同様、当時もマスクの需要に供給が追い付かず、マスクを用いた暴利商法を警察が取り締まっていたことがわかる。100年前も、人の心はそう変わらず、危機の時に一山当てようという「不正商人」が跋扈したようだ。