昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/04/14

現代の感覚で「マスク1枚500~1000円」

 注目すべきは神奈川の事例で、マスクの市価1個35銭から80銭に高騰したのを、1個5銭で県が独自に製作し、各種団体を通じて販売した、という事例である。大正時代後半、米1升(約1.5キロ)が約60銭。タクシー料金(初乗り、1.6キロ)が約50銭だったというから、雑駁に現代の感覚に直せばマスク1枚が500円~1000円程度に高騰した、というわけである。県はそれを各種団体を通じて1枚5銭で販売したのだから、これも現代感覚に直せば1枚数十円である。またこれ以外にも、貧困層に対して在郷軍人会や婦人会などの各種団体を通じてマスクの無償配布が行われている。こういった各種の努力は現代ではあまり見られない独特のものだ。

 4つ目は、当時の内務省が積極的に奨励した予防接種である。内務省報告書はこの予防接種の効果について、一章を割いて詳述しているものの、残念ながら現在からすれば医学的根拠は全くない。というのも、当時スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスを人類は観察することが出来ず、当時の専門家ですらパンデミックの原因を「細菌」と考えていたからである。内務省自身も、大々的に行われた予防接種の効果を「流行性感冒接種の効果はいまだこれを確認し難し」(内務省,401)と認めている。だが、これが当時の医学水準の限界であった。

予防接種をする医師(アメリカ、1918年撮影)。しかしヒトのインフルエンザウイルスは1933年に初めて分離されたため、このころの予防接種は医学的根拠がなかった ©getty

100年前のスペイン風邪、日本経済へのダメージはどのくらい?

 最後に、100年前のパンデミックは大正日本の経済にどのようなショックを与えたのだろうか。今次コロナ禍では宿泊業をはじめ、飲食店、興行、その他あらゆる業種に景気後退による直撃が不安視されている。スペイン風邪流行当時の日本は、1918年に第一次大戦が終わり、その反動減を迎えていた。とはいえ、1914年から1918年までの戦時景気では、日本の実質GNPは大きく成長し、スペイン風邪の流行期を含んだ1916年から1920年までの5年間、実質GNP成長率は年平均6.0%成長であった(日本銀行金融研究所『戦間期日本の経済変動と金融政策対応』2002年)。実のところ丸2年間で約45万人が死亡したスペイン風邪が、当時の日本経済にどれほどの負のインパクトをもたらしたのか、またはもたらさなかったのか、については未研究が多く、余りよくわかっていない。

1918年のアメリカ・シカゴ。当局職員が街路清掃人の査察をする様子 ©getty

 100年前と現在では死生観が違いすぎ、また国家が主導して民間経済活動に自粛を要請する、という発想そのものが無かったためである。これを考えると、死屍累々を築いた100年前のパンデミックによる当時の経済的影響は、現代よりもはるかに軽微だったともいえる。それが良いのか悪いのかは一概に言えない。

 こうしてみると、100年前のパンデミックと現在の新型コロナ禍には、驚くほど共通する対処法がある一方、この100年間で社会が複雑高度に発達した割には、「大して変わっていない」という部分に一抹の不安を覚える向きもあろう。なににせよ、過去のパンデミックの記録を振り返ることは、私たちの未来を占ううえでは基礎知識として欠かせないものであると言える。

<【前編】「100年前5億人が感染したスペイン風邪 なぜ日本も終息に丸2年かかったのか?」を読む>

この記事の写真(5枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー