植松には責任能力はない?
弁護人が「それもイルミナティカードに描かれているのですか?」と尋ねると、「いえ、それは『闇金ウシジマくん』というマンガに描かれています」という。
そんな珍問答の続出に、私だけでなく傍聴人の多くが「気は確かか?」と首をかしげることとなった。
弁護側のねらいは明らかだった。植松の荒唐無稽ぶりをあらわにし、逆に責任能力のなさを印象づけようとしていた。
植松の世界観は、インターネットやテレビ、マンガ、ゲーム、そして「自己責任」や「生産性」に代表されるような“ネトウヨ的言説”などで形作られている。世の中に流布する断片情報を寄せ集め、世界を理解した気になっている。それもまた、今の社会を映し出す鏡には違いないのだが。
犯行時は沈着冷静に行動
それに対して検察側は、植松の考えは「正常心理の範囲内であり、病的な妄想ではなく、単なる特異な考え方」とし、完全責任能力があると主張した。
植松は奇妙な持論を展開する一方で、弁護人が「事件を起こせばどうなると思いましたか?」と尋ねたのに対し、「捕まると思いました」「厳しい刑事罰を受けてもやるべきだと思いました」と答えている。自らを客観的に認識し、善悪の判断に基づいて行動をコントロールできる、すなわち「心神喪失」ではないことが随所で明らかとなった。
とりわけ第二回公判(1月10日)の検察側の書証調べにおいて、犯行時の植松がきわめて冷酷非道ながらも、沈着冷静に行動した様子が浮き彫りとなった。
【続きを読む 《相模原45人殺傷事件》「こいつしゃべれないじゃん」と入所者に刃物を 植松聖死刑囚の‟リア充”だった学生時代】