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2021/06/18

source : ノンフィクション出版

genre : 働き方, 社会, 読書

 それでもなお、幹部職員ともなれば、こんなに大きな組織を牽引し、こんな重責を担わされ、残業代もなく働いているのに、ちょっと薄給すぎやしないか、そう心の中で嘆いているに違いない。まさにこの感覚の延長線上にOB人事がある。退職後の約5年間の面倒を見てもらうことにより、大企業に比較して薄給だった(と思い込んでいる)状態の帳尻合わせをしているのではないだろうか。

黒歴史の再来か

 管理職が自分の給料が高くはないと感じる一方で、管理職一歩手前の課長代理(いわゆる係長)の時代はボロ雑巾のようにこき使われるのが通例である。1か月の残業時間が100時間、200時間という職員もざらにいた。その分、結構な残業代を頂戴(ちょうだい)することになる。ところが、課長に昇格した途端、残業代は出なくなる。代わりに管理職手当が付くとはいえ、年収が100万円単位で下がったという話はよく聞く。

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 また、その昔、都庁でもサービス残業は事実上の黙認状態で日常茶飯事であった。各局の経理部門が各月の残業代の上限を定め、オーバーした分は申請しない習わしが横行していた時期があった。年度末ともなれば残業代に充てる予算が底を突き、あと何時間分しかありませんのでよろしく、と無慈悲な通知が回ってきたこともある。

 むざむざ残業実績をドブに捨てても、文句も言わずに黙々と深夜まで仕事に取り組む職員気質は、今の感覚ではちょっと理解に苦しむが、私自身、そうした組織風土にどっぷり浸かっていた当時は、何の疑問も感じていなかったように思う。組織を覆う空気感とは、そういうものである。

 さて、それなりの給与水準と見られがちな都庁職員だが、過去においては給与が指定日に支給されず遅滞したり、賃金カットが行われたこともあった。1990年代後半、都庁は放漫財政のツケによる何度目かの財政危機に直面していた。青島幸男知事は財政危機宣言を出し、石原知事は「とんでもないところ(=都庁)に嫁に来てしまった」と嘆いた。新規採用は凍結され、労使一体となって4%の給与削減が断行された。