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 名探偵コナンという日本漫画史上有数の成功を収めたシリーズの特色の一つは、それが推理漫画である以上に低年齢層向けの学習漫画でもあることだ。

 劇中で園子は、歩美・光彦・元太の小学生たちにチケットを賭けたクイズをしているように見せかけながら、実はヒントを出しつつ子どもたちを教育し、チケットを譲る。そしてそれは劇中の少年探偵団だけではなく、劇場の幼い観客たちに向けた、リニアモーターカーというシステムの説明と教育でもあるのだ。

外務省が中高生向けに作った北海道洞爺湖サミットの広報冊子にもコナンの姿が(2008年撮影)©時事通信社

 それは監督・永岡智佳、脚本・櫻井武晴による、とても繊細で温かいシーンであり、次々とライバルが現れるエンターテイメント界の激しい競争の中で、名探偵コナンというコンテンツがなぜ25年にもわたる長い期間、新しい世代の観客を獲得し、上の世代の観客の信頼を保ち続けているのかを象徴する一場面だったと思う。

 劇場版『名探偵コナン』の強さは、平日の昼にもレイトショーでも観客が入る世代の広さにある。映画館でこのシリーズを見れば、早い時間には『コナン』に出会ったばかりの子どもの観客の姿を、レイトショーでは子供のころから『コナン』と育ってきた大人の観客の姿を見ることができるだろう。

『ハロウィンの花嫁』と「コナンの世界観」

 観客がファン活動や二次創作を通じてコナンというコンテンツを育ててきたように、コンテンツもまた豊かなファン層を育てた。

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 実は最新作『ハロウィンの花嫁』の広告戦略をめぐっては、SNS企画をめぐり少しばかりの波乱があった。ムビチケと呼ばれる前売り券で投票できる「女性キャラクターの中から理想の花嫁を選ぶ」という企画にかなりの批判があったのだ。

 近年、創作コンテンツをめぐってジェンダーの観点が論争になるケースは多い。だがそうした論争は通常、外部からの批判に対してファンが反発して反論するという構図になることが多い。

 今回のコナンの「理想の花嫁」企画について興味深かったのは、学者や弁護士やフェミニストによる外部からの批判よりも、ファンの側から批判が起き、またそれに対して「自分は投票したい、何が悪い」というファンの声もそれほど多くないまま、コナンファン内部の空気を見て企画側が取り下げる空気になっていったという展開になったことだった。

 コナンシリーズを見てきた筆者の私見ではあるが、「理想の花嫁を投票で選ぶ」という企画は、外部の倫理、世間の価値観のアップデートというより、コナンの世界観にそぐわない印象を受けたのは事実だ。

 というのも、『名探偵コナン』シリーズの物語世界において、女性キャラクターたちの何人かはすでに、作中の誰かにとっての「理想の恋人」であるからだ。遠山和葉には服部平次。鈴木園子には京極真。宮本由美には羽田秀吉。そして毛利蘭には、いうまでもなく工藤新一。推理漫画であり、同時に学習漫画でもある『名探偵コナン』のもうひとつの特色は、それがきわめて真剣で、もどかしいほどゆっくりと進む恋愛漫画でもあることだ。

 最新作『ハロウィンの花嫁』でメインになる、佐藤美和子刑事と高木渉刑事の恋もそうだ。殉職した伝説の剛腕刑事・松田陣平の面影が今も心を離れない佐藤美和子を振り向かせようとする、マッチョではないが心優しい高木渉刑事の物語は、古い男性像と新しい男性像の間で揺れるキャリア女性の心理を描いている。こうした大人の心の琴線にも触れるようなラブストーリーの構造を、子どもにもわかるように簡略化しつつ描くのが『コナン』シリーズの優れた点でもある。