のちに相互直通駅は日吉となった。東急側は目蒲線を多摩川駅で分割し、目黒~多摩川間を目黒線、多摩川~蒲田間を多摩川線に改称した。目黒線は日吉へ延伸し、東横線の一部複々線区間とした。渋谷方面に集中して混雑する通勤輸送を目黒方面に分散させる意図があった。
東急新横浜線は、目黒線の日吉駅の線路を延伸し地下に潜らせる形で建設されている。東横線の線路に移る分岐器も用意され、東横線方面の乗り入れも可能だ。
かつてのライバルから連携の時代へ
かつての親子、後に独立、喧嘩、そして握手。因縁めいた路線がつながる。
似たような因縁解消としては、東京メトロ副都心線開業で実現した、東急東横線と西武池袋線の相互直通がある。東急グループの五島慶太と西武グループ堤康次郎は、本拠となる電鉄の事業エリアこそ城南と城西で異なるけれど、リゾート開発事業では伊豆や箱根で過度な競争を起こしている。
伊豆は西側が西武系の伊豆箱根鉄道、東側は東急系の伊豆急行を建設した。伊豆急行の建設予定地を西武グループが買い占めたため、伊豆急は海沿いを通れず山側を迂回している。箱根では「箱根山戦争」と呼ばれ、西武グループと五島の影響力を持つ小田急電鉄がバス事業、遊覧船事業、ホテル事業などで競った。
そんなライバル関係を知っているからこそ、東横線に西武鉄道の電車が走り、池袋線に東急電鉄の電車が走る様子は感慨深い。東急と西武は高速バスの共同運行でも連携が始まっている。
JR新宿駅で東武日光行きのスペーシアが発着する場面も心が躍る。国鉄と東武は日光行き列車でシェア争いを繰り広げ、東武鉄道の圧勝で終った経緯がある。
過去の因縁を解消して、という感覚は、もう当事者にはないと思う。しかし、過去を知るものは「相互直通運転が新しい関係を作ったな」と、胸が熱くなる。相鉄線を東急の電車が走る風景、東横線を相鉄の電車が走る風景。東海道新幹線の新横浜で、東武東上線の電車に乗り換える。そんな日がもうすぐやってくる。