ーーインドネシアですか?
Amateras 『アクト・オブ・キリング』って、インドネシアで1960年代に起きた大量虐殺を題材にしたドキュメンタリーを見たんです。その虐殺をした人たちに当時の殺戮の様子を再現させるという内容で、「インドネシアってこんなことがあった国だったのか」と驚いて、実際に行ってどんな国か見たくなったんです。それでインドネシアにある、慶應の提携校に留学しました。
自警団が存在していて、警察よりも権力を持っていたり。あと、虐殺した人たちって、いまは権力者になってるんですよ。そういう人たちの子供や孫が、留学先の周りにいたり。映画だけじゃ知ることができないこと、見られないことがあるとわかって、良くも悪くも得るものは大きかったと思いますね。
映画もラグビーも、共同作業
ーー帰国して、映画と音楽の創作に没頭すると。高校時代、ラグビー部の後輩たちをケチャップまみれにして校庭を走らせるという映画も撮っていたそうですけど、大学では映画研究会には入らなかったのですか。
Amateras 高校で映画を撮ったときは騒ぎになって、「おまえは慶應に必要ない」って言われて無期停学を喰らいましたけど。
大学の映研は、入ってみたけど、合わなくてすぐに辞めました。脚本通りに俳優が演技して、それをカメラで撮ったものを繋げれば映画になるって考え方が、僕には難しく思えたんです。それでいて、雰囲気重視でわかる人だけわかればいいっていう。カチッと作るならば、ディズニーみたいに、どこの誰が見ても理解できるようにしないとなって。
映画もラグビーも、共同作業だと思うんですよ。でも、日本って1人が「こうやりたい」と言ったことをみんなそれに従ってやろうとする。頑固な大将がうまいラーメンを作って、それをそのまま弟子に教える、みたいな。
西洋は、日清みたいに一つのカップヌードルをみんなの意見を元に作っていこうっていう考え。1人の癖を出すんじゃなく、みんなで考える。映画に関しては、そういうふうにしたかったんですよね。
写真=杉山秀樹/文藝春秋