光源氏のモデルは藤原兼家説
木村 光源氏のモデルが道長であるとは誰もが考えたくなるものですが、彼は政治的に常にトップにいて左遷されてなどいない。それを言うなら『蜻蛉日記』に書かれる兼家だろう、と。左遷されてはいないけれど、官職を取られて家に引きこもっていたという意味でも、光源氏は兼家に似ている。『蜻蛉日記』は夫に忘れられた可哀想な妻が鬱々とした心情を描いているというイメージで読まれることが多いですが、本当はそれによって兼家が上がっている。いい男に見える。なぜか色好みの男ということになっている。『大鏡』のような歴史物語を読んでも、権力闘争の中で兼家が策略家としてどのように政治の世界で上り詰めたのかが語られるだけで、そんな記述は出てきません。でも『蜻蛉日記』のなかの兼家はそれとは違ってかっこいい。田辺聖子さんも兼家を優しくてちょっといい男だとおっしゃっていますね。
のちに書かれた藤原為家の側室の阿仏尼(あぶつに)による『十六夜(いざよい)日記』にしても、為家の後妻に入ったときにはすでに正妻の子がいたために、自分の息子の正統性を担保するために書かれた、と読まれてきました。それなのに、『蜻蛉日記』はただ女が日記をしたためたものだとされるのはおかしい。『蜻蛉日記』もまた、兼家の権力の正統性を担保するために書かれていると読めるはずなんです。古典文学を読むときには、こうやって文脈を埋める力も必要で、そこが歴史家とは大きく違うところかもしれません。『光る君へ』でもきっとそうした妄想力が時に発揮されるんじゃないでしょうか。
和歌のやり取りはミュージカル
――『蜻蛉日記』の兼家と作者の和歌のやり取りもそうですが、『源氏物語』に出てくる和歌、藤原道長と和泉式部や紫式部との和歌のやり取りなど、本書の中では和歌がふんだんに挿入されますよね。それによって歌を詠んだ人の思いがリアルに伝わってきました。
木村 しばらく前から大学では和歌も真面目に取りあげるようになったんですが、例えば『和泉式部日記』は和歌で盛り上がっていくミュージカルスタイルなんですよね。和歌の面白さだけはどうしても現代語に訳しきれないので、歌を歌として楽しむにはどうしたらいいかということを考え始めるようになっていったんです。昔の私だったらここまで“和歌推し”ではなかったので、和歌を飛ばして書いたかもしれません。でも今なら和歌の面白さも書くことができる。
私自身、これまで『源氏物語』についての論文を書いたことはなくて、どちらかというと『とりかへばや物語』や『石清水物語』のような『源氏物語』以降の小さい作品について書いてきました。でも論文ではなく、授業で学生たちに講義をしたり、一般書を書いたりする中で、『源氏物語』への向き合い方みたいなものを最近ようやく手に入れた気がしています。