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〇及川光子(仮名、76歳)

 光子は生活保護を受けながら、娘と2人の孫と共に4人で暮らしていた。娘と孫2人は知的障害があって就労が困難だったため、全員で身を寄せ合うように暮らしていた。

 家庭の生活費は生活保護費で成り立っていたが常に火の車だった。原因は、光子の娘がギャンブルとアルコールの依存症だったことだ。毎月、生活保護のお金が入ると、娘がそれを持ち出して、1、2週間のうちにギャンブルとアルコールに費やしてしまう。無一文で1週間以上暮らさなければならなかったことも多々あり、月末には一家全員が食事もままならなくなっていた。

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 市の担当者はそうしたことを考慮して、生活保護費を月ごとではなく、週ごとに分けて払うようにした。そうすれば、娘の浪費を抑えられ、食べていくことができるはずだと判断したのだ。最初はなんとかうまくやっていたが、光子が高齢になるにつれ、娘が実権を握るようになり、浪費がエスカレートしていった。

体重は29キロにまで減少…

 ある日、デイサービスの事業所の職員が、光子が急激にやせたのに気がついた。調べると、32キロあった体重が、たった1カ月で29キロにまで落ちている。あまりにも急激な体重減少だ。

 この職員は家庭内で何か問題が起きているのだろうと考え、市の相談窓口に通報した。担当者が自宅に赴いて調べたところ、娘がギャンブルとアルコールに費やす金欲しさに、光子に食事を与えていなかったことが判明した。

 職員は会議にかけ、光子が家庭内でネグレクトを受けていると判断。娘にも改善の意思が見られないことから、光子を寿水荘に預けて保護することにした。

 当初、娘は光子を寿水荘に行かせれば、生活保護が止められるのではないかと抵抗した。だが、職員が新たに娘が生活保護を受けるように手配すると話すと、態度を一変させて何も言わなくなった。娘の頭には、どうやってギャンブルやアルコールの金を作るかということしかなかったのだろう。

 寿水荘で暮らしはじめた光子は見違えるように体力が回復し、体重も50キロを超した。光子は次のように話しているという。

「娘のところには二度と帰りたくない。ここにいさせてほしい」