徳岡孝夫さんが亡くなった。長い歳月、新聞記者の師として仰ぎ、親しくさせていただいた方だった。だから彼の逝去に胸が詰まる。
記者、文筆家、人間の考察者としての徳岡さんは類まれなる才能の人だった。人間の悲喜を冷徹ながらも優しく眺め、流麗ながら簡明な文章で伝える。ときには国家や社会のゆがんだ部分を鋭く摘出する。英語での筆力もすごかった。キリスト教徒らしい寛容さをも感じさせた。素直に仰ぎみるジャーナリストだった。

毎日新聞記者としては私の10年先輩だった彼は1960年代後半はバンコク駐在特派員となった。ベトナム戦争での68年1月末からのテト攻勢では激戦地の古都フエに飛び、戦火の跡をなまなましく報じた。その際には北ベトナム側による南政府側住民の大規模な処刑についての彼の記事は日本のメディアでは数少ない貴重な報道となった。
一緒の取材の機会を得たのはベトナム戦争の最終段階だった。私は1975年春、南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)の駐在特派員となっていたが、戦局が大激変し、北ベトナム正規軍の大部隊が南領内を奔流のように制圧していった。この大事件に徳岡さんは応援として飛来した。
彼は独特の視点で「サイゴンの十字架」という連載記事を書いた。戦争の中での人間や社会に光をあてる、惹きこまれる読み物だった。だが北軍の大部隊の進撃に南ベトナムの完全崩壊が確実となった。大戦闘の危機が迫ったのだ。
毎日新聞の本社からは最後の段階では米軍ヘリに席を確保し、サイゴンを離脱するようにという指示があった。1975年4月29日、その米側の撤退が発動された。毎日新聞記者団は撤退し、その取材をする側とサイゴンに残って戦争の最終場面を取材する側とに分かれた。各記者独自の判断が大きかった。
それまで南ベトナムに3年以上も駐在し、サイゴン支局長だった私は残留の道を選んだ。徳岡さんは撤退組の中心となった。私はサイゴンの暑熱の街路で彼らを見送った。
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