私は2015年から約3年、日本語教師として夫とともに南インド・チェンナイのIT企業で働き、そこでの経験を源泉のひとつとして「百年泥」を書いて作家デビューした。現在私は日本に住み、夫は引き続きチェンナイの同じ会社に勤務している。
この夏、2か月ほど再びチェンナイに滞在した。その間日曜日と祝日以外、(本当は部外者禁止だが)夫と一緒に古巣の社員食堂で毎日昼食をとった。
「百年泥」に描いた通り、私たちのアパートから見て会社はアダイヤール川をはさんだ対岸、歩いて15分ほどの場所にある。毎日お昼ごろ家を出て、今日もクラクションが渦巻き、すさまじい量の車やバスやバイクが虚々実々のバトルを繰り広げる100フィート道路に沿って歩き、それから相変わらずゴミだらけの川を見ながら3年間渡りつづけた橋を渡る。夫の午前の授業が終わる頃あいに会社に着き、電話してから門の近くの日蔭で彼を待った。すでに授業を終えていて待ちかねた声で「すぐ行く」と言うときもあれば、授業が押していて忌々しげに「あと10分」と言われることもあった。
インドの社員食堂は大同小異かと思うが、ずらりと並んだご飯とおかず、汁物の大半は野菜料理で、その脇に茹で卵や骨付き鶏肉などノンベジのおかずも若干用意されており、頼めば係のおばさんが卵焼きを焼いてくれるという方式だ。もしここに厳格なヒンドゥーのバラモンがいたら、ベジとノンベジの料理が隣り合って並べられている、この有様を目にしただけで卒倒するだろうな、ふと思う。おかずもスープも、日本人に言わせれば全部「カレー」で、食べ終わるころには舌や口の周りがひりひりした。
この社員食堂にいつしかみけの親子が来て餌をねだるようになった。犬と違って肉食の猫は、この国では全く商売あがったりだ。ベジタリアンが多いうえ、ノンベジの食材は値が張るから猫がこれにありつくことは難しく、だからインドの猫はたいていがりがりに痩せている。インド猫は日本猫に比べ顔が小さく首がすっと長い。社食に現れたそのみけは目が大きい美人猫で、こみけは人慣れしてないのか、壁際にうずくまりじっとこっちを見つめる様子は涙目になるほどかわいい。そのとき隣のテーブルでスマホをいじっていたインド人女性が猫の鳴声がするのに顔を上げた。彼女がちらりと仔猫を見、そのまま無言でスマホに目を戻したのに私は驚愕した。他のインド人たちの反応も同様で、みけ親子へのそのクールな態度を見て、私は動物と人間の関係における彼我の差を痛感させられた。基本的にインドで動物とは家畜か野良であり、愛玩動物という範疇(はんちゆう)はまだ一般的ではないのだ。街で観賞用の魚類を扱う店は見かけるが、犬猫を扱うペットショップは見たことがない。
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source : 文藝春秋 2019年12月号