文芸ジャーナリストの佐久間文子さんが、令和に読み継ぎたい名著3冊を紹介します。
『逸見(ヘミ)小学校』は、敗戦の年、寄せ集めの部隊に訪れたつかの間の休息を描く異色の戦争文学。作家の死後、原稿が見つかり、刊行された。
舞台は戦場ではなく、出発を待つあいだ駐屯していた国民学校である。敗けいくさが誰の目にも明らかになってから「人的資源の底をさらって」召集されてきた部下と、二日酔いで移動に遅れる、新米将校。死ぬために集められた彼らは、だからこそ優しく、一種のユートピアが形づくられている。
庄野自身の体験にもとづく小説は後年の作品同様、淡々としており、日常を失うまいとする強い意志にすごみを感じる。生前、発表されなかったのはモデル問題が理由のようで、戦後文学の主流とはかけ離れた戦争の描き方だったこともあるだろう。
敗戦の翌年、戦争協力を批判されたことをきっかけに書き始められた『私の東京地図』。佐多は、家庭の事情で小学校も終えずに働き始め、2度の結婚と離婚をへて住む場所も転々と変えてきた。目の前にあるのは焼け跡でも、体に刻み付けられた土地の記憶はいつでも取り出すことができ、そこをひたむきに歩いていた自分の姿も鮮やかに再現される。
自分を憐れみもせずたのみもせず、来し方をたどりなおす、その目の濁りのなさがきわだつ1冊。
モダニズム詩に興味を持つ人ならだれもが行き当たるのがボン書店の詩集だという。昭和初年に北園克衛、春山行夫、安西冬衛らの瀟洒な本を出し、その後、忽然と姿を消した刊行者鳥羽茂の足どりを、詩専門の古書店主が丹念に追う。
残された本と同時代の詩人たちが残したわずかな文章を手がかりに、鳥羽の短い人生と出版にかける思いが次第に明らかになる。『ボン書店の幻』の「文庫版のための少し長いあとがき」によると、単行本が出たあと、著者は鳥羽の遺児に会う。4歳で両親を亡くした息子は、「あなたのご本を読んで、親父に会えました」と言う。「本の力」を思い知る瞬間だ。
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source : 文藝春秋 2020年1月号