小林恭二「三鬼」

平松 洋子 作家・エッセイスト

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エンタメ 読書

怪人を歴史とフィクションの波間で描く

 4年前の夏、岡山県津山を自転車で走る旅の途中、そういえば、と急いで調べると、果たして市内の成道寺に西東三鬼(さいとうさんき)の墓があった。炎天下、墓句碑と向き合う。

「水枕がばりと寒い海がある」

 昭和10年、肺病の熱に浮かされた死の淵を詠んだこの作は、新興俳句の扉を開けた代表句として広く知られる。このとき三鬼35歳、俳句を始めて2年目だった。

 本作『三鬼』は、俳句や短歌に関する著作も多く、長らく三鬼研究に勤しんできた作家、小林恭二による長編小説である。大戦前夜のキナ臭さが充満する世相を受け、それこそ息をもつかせぬ展開なのだが、時局も俳壇も掻きまわす三鬼のトリックスターぶりがえぐい。正体のつかめない怪人の運命を、歴史とフィクションの波間で泳がせる一大エンターテインメントにただただ痺れる。

小林恭二『三鬼』(講談社)2750円(税込)

 本名・斎藤敬直、西東三鬼は白い麻のスーツを着て白いカンカン帽、蝙蝠傘を持つ英国紳士ふうでもあるが、売れない役者にも詐欺師にも映り、妻子持ちだが女遊びに入れ込む放蕩者。シンガポールに渡って歯科医を開業しながらゴルフや遊興にうつつを抜かし、コスモポリタン気取り……とまあ埒外の人物なのだが、帰国して俳句に手を染めると、その人生はさらに芝居めいていく。

 著者は、「俳句は元来詩の切れっぱしのような舌足らずの文芸」「何か完結的な意味を持つことは不可能に近い」と表わすのだが、では、わずか17音がいかにして国家を揺るがす危険な存在と化したのか。その過程で新興俳句は社会主義的な作用を担い、この数奇な物語を動かす車輪となる。俳人たちの「観念的反体制ごっこ」を危険視した特高警察は、俳句雑誌「京大俳句」の主要会員のほぼ全員を治安維持法違反の容疑で逮捕、潰滅に追い込むのだが、新興俳句運動の中心にいたのも三鬼。冒頭の一句の誕生は、面妖な名前の響きとともに三鬼をカリスマに祭り上げ、一方、特高は数々の弾圧を行い、膨大な数の死者を出す。拷問に怯える三鬼はつねに尾行され、そこへ特高と陸軍の駆け引きが絡む。そして、海を越える決死の逃走劇が始まって――。

 いわくつきの美少女、市子とのロマンスが艶を醸す。ダンスホール。シンガポール華僑。サナトリウム……舞台装置は万全だ。ドンファンじみた三鬼が、市子との関係のなかで次第に純度を増すさまがまぶしい。

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source : 文藝春秋 2026年10月号

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