著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、馬場あき子(歌人)です。
私の生みの母の記憶は、ほとんど写真に残されたものから構成されている。昭和3年、私を生んだ母はやがて結核を病んだ。当時結核はまだ不治の病とされ、その家の前を通るのも嫌がられていたらしい。母はそのことを自覚していて、私を祖母の手に委ね、ほとんど私を抱こうとしなかったと聞く。
いま写真として残っている母は、小康を得ていた時の記念に撮ったものという。いかにも繊細で知的な神経質そうな表情をしている。この母が生を焉(お)えたのは私が数え年7歳の2月1日。4月になれば私は小学校1年生になるはずだった。この母の記憶といえば、私のために茹で卵を剥いてくれた細くしなやかな指だけだ。母としてその顔をつくづく眺めたのはもう柩の中の青ざめた顔であった。
それから3年後、父は後妻を迎えた。継母である。初対面は私が養われていた祖母の家に挨拶に来た時だ。新しい母はよい着物を着て丸髷を結っていた。私にとってそれは新鮮な風俗で魅力的だった。福島県のいわきの人で、田舎ことばを恥じることなく明るく話す。私を育てた祖母や叔母は奥京都の綾部の人で物言う雰囲気がまるでちがうのが面白かった。
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source : 文藝春秋 2020年4月号