デジタル独裁 VS. 東洋的人間主義

小林 喜光 経済同友会代表幹事
山極 壽一 総合地球環境学研究所 所長
ニュース 社会 働き方 教育
コロナ禍は世界中のIT化を加速させた。だが、デジタル一辺倒では行きづまる。「人間らしさ」はもう一度見直されるはずだ。

パンツ一丁で寝転んで授業を受けてもいい

 小林 山極先生とは、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議の場で、毎週のように顔を合わせる機会がありましたが、オンラインでお話しするのは初めてですね。ここ2カ月、私のほうはほとんど自宅での生活で、ウェブ会議ばかり増えてやたら忙しいんですけれど、自分が話す番でない時は外を見てボケッとしたり、自分の映像を消しておいたりといろいろ学びました(笑)。

 これまで私は、危機感のない日本の現状を茹でガエルに例えて表現してきました。その茹でガエルの目を覚ますにはヘビが必要で、それは海外のアクティビストか起業精神に溢れたファーストペンギンたる若者かと思っていたら、なんとコロナだったかと。そんな事を考えながら朝昼晩を家で食べるのは、正直なところ億劫なこともありますけれど(苦笑)、自宅で有意義な時間を過ごすこともできた。50年近くのサラリーマン生活で、自分の時間を完全に売ってきたなと痛感していますよ。

 山極 大学も、遠隔教育がずいぶん進みました。でも教員はラクになるどころか大変です。というのは座学であれば、教室にいる生徒全員に対して語りかければいい。学生もくどくど質問することはありません。でも、オンライン授業は基本的に1対1。学生たちはパンツ一丁で寝転んで授業を受けてもいいですが(笑)、周りを気にしなくていいぶん、自由に質問するようになりました。それ自体は悪いことではありませんが、教員は個別に答える必要があるから、なかなか大変です。

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山極氏

 小林 企業のウェブ会議のほうは、「空気を読まないで喋れる」と好評ですよ。どうも、対面だと場の雰囲気を読んだり、相手の顔色をうかがったりして自由に喋れないんですね。ウェブだと、愛想笑いやゴマすりが通用しないのもいい(笑)。

 山極 確かに(笑)。観客の反応が見えにくい分、プレゼンテーションの練習にもなる気はしています。ただ、僕がやっている人類学や霊長類学のような研究分野は、フィールドワークができなくなるのが辛いです。実際に手足を動かさなければならない教育は、なかなかオンラインでは代替できませんね。

中国人留学生減なら大学は大打撃

 小林 日本がデジタル化で圧倒的後れをとっていることも明らかになりましたね。会社からハンコを押せと書類が郵送されて来るのですが、その辺で買える三文判にどれだけ本人確認の意味があるのか(笑)。

 時限措置ではありますが、初診のオンライン診療は解禁となりました。コロナ禍も悪いことばかりじゃない。新しいやり方を育てるためにも、これを機に役割を終えたハンコ文化や意味のない対面信仰のようなものには、サヨナラしなきゃいけないと思いますね。

 教育分野は、9月入学など議論すべきテーマが出てきたので、先生はますますお忙しいでしょう。

 山極 そうですね。京都大学は、大学院で既に9月入学を取り入れていますが、学部で実現するには、卒業生の就職と留学生の受け入れの問題があるので、カリキュラムも試験も変えなくてはなりません。9月入学には賛成ですが、準備には相当な時間がかかると思います。

 もっと頭が痛いのは、今後、世界中で留学生が減ってしまうのではないかという問題です。近年、世界中の大学が中国人留学生に頼ってきました。特にイギリスの大学は、オックスフォードやケンブリッジなどの名門大学も多くの中国やアジアの留学生を受け入れ、世界トップの座を守る原動力にしてきた。彼らが来てくれなくなったら収入は激減します。大学もお金が大事ですから、留学生を引き留めるためにオンライン授業をやって、教員が留学生のいる国を訪問して単位を認める制度を導入しようとする動きがすでに始まっているんです。

 小林 飛行機による移動は、これから先2〜3年は、ある程度がまんするしかないでしょうからね。

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小林氏

 山極 しかし移動する必要がなくなったのは、ものすごく大きな変化ですね。国際会議が日本の中でできるようになりましたから。財布にも優しいし、時間の節約にもなる。ただ、これで大打撃を受ける観光業と航空業界は、たまったものではないでしょうけれど。

ゴリラ、チンパンジーにない人間らしさ

 山極 新型コロナの感染拡大が危惧された頃、私が頭に思い浮かべたのは、SF映画『猿の惑星』でした。宇宙飛行士が6カ月の飛行を経て帰還したのは、700年後の地球。彼らが目にしたのは、人間の言葉を喋って文明的な生活を送る類人猿と、言葉を失って飼育されている人間たちでした。なぜそんなことになったのかといえば、感染症の新薬を開発するため実験用に飼われていたチンパンジーが変異して人間の言葉を喋るようになり、だんだん言葉を操る子孫を増やしていった。一方、人間の世界では、ウイルスによる感染症が急速に広がり、人類は免疫系を強化した代わりに言葉を失ったのです。

 小林 原因不明の病気を解明しようと、ありとあらゆる科学技術をもって戦った結果、人間を人間たらしめている「言葉」を失ってしまったとは皮肉ですね。

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SF映画『猿の惑星』より
©️Ronald Grant Archive/Mary Evans

 山極 でも、言葉を喋らないゴリラと会話してきた経験から推察するに、「人間らしさ」は言葉が現れる前に作られていたはずなんです。今回の外出自粛によって明らかになったのは、集まったり、移動したりすることを禁じられると、こんなにも人間は落ち込んでしまうものなのかということでした。スマホもインターネットもあるわけだから常に会話はできている。だけど、それだけでは人間は満足できず、孤立感を感じてしまう。

 小林 たしかに不思議なことですね。

 山極 例えば、対面してものを食べる行為は、人間だけにある習慣で、ゴリラもチンパンジーも食べる時は分散し、あまり顔を合わせないようにして食べます。でも、人間は食べる時にわざわざ集まって、お互いの顔色を確かめながらその場を楽しんで食べる。そういった機会がなくなると、人間は日々の豊かさを失った気分になってしまうんですね。そういうことを思い返してみると、言葉を介さない、人間同士のつながりが人間社会を作るうえで重要なのだと改めて理解できた気がするんです。そしてこれほど情報社会が進み、様々なコミュニケーションツールが生まれても、代替できるものがない。

 小林 言葉は人間の最も特徴的なものかと思っていましたけれど、たしかに言葉とか論理とか、さらにそれが発展してデジタル、AIになると冷たいイメージになりますね。今言われた人間的な特徴は、共に過ごすとか場を共有するとか、文化的、慣習的なもので温かい。いってみればアナログの世界であって、情の世界ですね。

デジタル専制主義は「勝利」したか

 小林 いま私が懸念しているのは、コロナ後の短期的な経済の落ち込みではなくて、デジタルの急速な発展と専制的な国家主義が組み合わさって人間的なものを押しつぶしていきやしないかということなのです。

 私が使っているウェブ会議用のヴァーチャル背景は、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが2018年にダボス会議で講演をした時の写真です。山極先生もハラリを読まれているそうですが、私もハラリが好きでしてね。この写真は、左にデモクラシー、右にデジタル・ディクテーターシップ(デジタル専制主義)と書かれています。彼はパンデミックが起こる前から、両者の対立を予言し、民主主義の危機を訴えてきました。

 今回、中国が国家によるデータ監視を強め、強権的なコロナ対策で感染を抑え込みました。100万人あたりの死亡者数(5月30日時点)の上位はベルギー(814人)、スペイン(580人)、イギリス(562人)といったヨーロッパの民主主義国が占めているのに対し、中国はわずか3人。数字だけを見ると差は歴然としています。シンガポール、香港なども中国に近い手法でうまくいきましたね。対コロナに関しては、デジタル専制主義は勝利を収めたように見えるんです。

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警鐘を鳴らすハラリ氏

 山極 民主主義と専制主義では、1つのことを決めるまでにかかる時間が違います。民主主義は結論を出したり、政策が実現したりするまでにとても時間がかかる。ウイルスはその時間を待ってはくれませんから、非常事態においては、力を持った国家指導者のほうが早く効果を発揮するというのは一面の真理でしょうね。

 小林 専制主義にデジタルの力が加わるとさらに力を発揮します。ハラリは「日経新聞電子版」への寄稿で次のように書いています。

〈中国当局は市民のスマホを細かく監視し、顔認証機能を持つ監視カメラを何億台も配置して情報を収集し、市民には体温や健康状態のチェックとその報告を義務付けることで、新型コロナの感染が疑われる人物を速やかに特定している。それだけではない。その人の行動を追跡し、その人物と接触した者も特定している。感染者が近づくと警告を発するアプリも相次いで登場している。(中略)新型コロナは監視の歴史における重大な転換点になりかねない〉(3月30日付)

 寒気を感じるような怖い社会だけど、パンデミックを起こした国が封じ込めに成功したことで、世界中の人々がデジタルの効率性を改めて認識したことも確かです。日本でも、携帯電話の位置情報をもとにした「人流データ」がすっかりおなじみになりました。リモートワークもデジタル技術なしにはありえなかったことでした。

 コロナ後はIT化社会が加速します。産業革命以降、蒸気機関や内燃機関で手や足を外部化したように、現在、AIなどのテクノロジーによって、人間の脳が外部化されようとしています。今後も新たなものが生み出されるでしょうし、その外部化したものをICチップにして人間の脳に埋め込むなどして、人間の身体に取り込むテクノロジーも生まれるかもしれない。そうなれば、人間とデジタル世界がますます融合し、人間がイチゼロの世界に取り込まれていくかもしれません。

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source : 文藝春秋 2020年7月号

genre : ニュース 社会 働き方 教育