私はこれでも女だから、日本で言われている女性活躍推進には大賛成だが、安倍内閣では党約にもなっていたにもかかわらず、この素晴らしい考えは明らかな成果にはつながらないままで先細りになりそう。なぜか。
答えは簡単で、既得権者たち、つまり男たちが積極的にならないからだが、改革に反対するのは既得権者であること、古今東西変らない真実でもある。それにテキは、はっきりと反対したのでは守旧派と見られるのを怖れてか、ズルイ手まで使う。
一昔前、大新聞の社長は女の新入社員にこう言ったという。「きみたちにも男の記者同様の仕事をしてもらいます」こう言われて、難関を突破して入社したくらいだから頭は良いにちがいない彼女たちはふるい立ったという。だが、それを知った私は、言葉には出さなかったが胸の内では言っていた。これは男の仕かけた罠であるのに気づかなかったのか、と。
男社会でつづいてきた組織での「男同様」とは、永遠に男たちの後を追いつづけることである。女性の活躍の推進も、男たちが歩んできた道をそのままたどりつづける、ということになるのだ。これが罠でなくて何であろう。女の新人記者に期待しているのは、男の同僚並みか、でなくとも少しぐらいのベター、でしかないのだから。
彼女たちは言う。組織に属したことのない塩野さんだから苦労はないのだ、と。たしかに私はずっとフリーの作家で通してきた。しかしフリーでも、男たちの嫌がらせにまったく無縁であったわけではない。
大新聞社のトップが女の新人記者相手に、彼の考えによればハッパをかけていたと同じ時代、まだ3作ぐらいしか出していなくて作家とも呼べなかった頃だが、新宿の酒場で有名な流行作家にからまれたことがある。どうやら酔っていたらしいこの大作家は言った。
「女だてらに政治や戦争を書いたり、ましてや男の心理にまで踏みこむのは許せない」
こういうとき、涙をためて黙ってしまう、などというふるまいは死んでもできない私なので、たとえ大先輩であろうが正面からその人に視線を当て、ただし微笑は浮べ声音もおだやかに言い返したのだった。
「女の世界を書き、だから女の心理にも深く踏みこむ作品をお書きの男の作家たちがいらっしゃるのだから、その反対を行く女がいて、何がいけないのでしょう」
狭い酒場の中は一瞬しんと静まりかえったが、すぐつづいて有名作家は椅子の音も乱暴に席を立って出て行った。その作家に従(つ)いてきていた編集者たちも後につづいたので、酒場の3分の2が空席になってしまった。マダムに悪かったなと思ったが、彼女は何も言わず、頼んでもいないのに私のグラスにウィスキーを注ぎ足した。
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source : 文藝春秋 2021年1月号