◆稲田ズイキ
僧侶。1992年、京都久御山町の月仲山称名寺生まれで副住職。同志社大学卒業、同大学院法学研究科を中退後、都内のデジタルエージェンシー企業に入社。2018年に独立し、文筆業とともに、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や、失恋浄化バー「失恋供養」、フリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の3代目編集長に就任するなど、時々家出をしながら多方面にわたり活動中。2020年には初の著書となる『世界が仏教であふれだす』を出版。
Twitter:@andymizuki
部屋にこもりきった空気はわかりやすく人をダメにする。時刻は23時を越えていたが、あてずっぽうで外に出た。
夜中に自転車に乗るのが習慣になって、抽象的なことを考える時間が増えた。机の前に座っているときや、歩いているときよりも、頭に浮かぶ言葉が遥かに小難しく、あまりにもくだらない。
人は目に映るすべてのもののメッセージを無意識で読み解こうとしているのだと思う。歩行時は風景をバラバラに切断して読み取っていく。一方で、自転車では一つ、二つ、と点と点をつなぐように頭を回転させていくのだ。
つまり、思考の抽象度は速度に比例する。でも、自転車程度の速度で見た抽象は、今も加速度的に膨張していく宇宙の真理には永遠に追いつけない。だからこそ、果てしなくくだらない。
人生とはなんだろうか。ほら、例にも漏れず今日もくだらない。ロールス・ロイスが並ぶ田園調布の風景がそうさせたのだろうか。ペダルを漕ぎながら、人生というくだらない抽象を遡っていく。
僕は僧侶である。そうは言うものの、いつから僧になったのかはわからない。お寺に生まれたときか、得度をした大学3年生のときか、修行を終えた大学院1年生のときか。
同時に、3年前僕はサラリーマンだった。広告代理店に新卒で入社。でも、あまりにも会社の役に立たず、1年で辞めることにした。スキルも貯金もないまま、すっぽんぽんで社会に躍り出たとき、僕には「僧侶」だけがあることに気づいた。
自分の足元を確かめるように、僕はコンテンツを作り続けた。お寺ミュージカル映画、仏典を機械学習させたブッダのAI、コンテナの寺。昨年は「世界一敷居の低い仏教本」という触書の初著書も出した。
でも、いまだに思う。自分は何者なのだろう。はたして、自分は僧侶なのだろうか。深夜の自転車的速度は、過度な抽象を描いてしまう。くだらなさの引力に思考が絡め取られたとき、ペダルを漕ぐ足を止め、ぽけぇと夜空を見上げることにしている。
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source : 文藝春秋 2021年3月号