ジビエを日本の新たな食文化に
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▶︎駆除の対象だったものが、食材となり、全国で流通するようになった背景には、日本ジビエ新興協会の活動があった
▶︎信州ジビエは地元野菜と相性抜群で、信州産のワインや日本酒との相性も抜群。一皿で、テーブルで信州を表現できるという大きな魅力がある
▶︎農水省の統計によると、2018年度にジビエに利用された鹿は捕獲数約56万頭のうち約7.4万頭で13.2%、猪は同約60万頭のうち約3.5万頭で6%弱。捕獲頭数は年々増加しても、処理数が追いついていない
ジビエは第4の食肉
野生鳥獣による農林業の被害が全国で深刻視されている。その7割強を鹿、猪、カラスが占め、国や自治体は猟友会の協力のもと、駆除に取り組む。農林水産省の統計では野生鳥獣による2018年度の全国の農作物被害額は158億円だった。
一方で駆除された野生鳥獣をジビエとして利活用し、新たな食資源とする取り組みが広がってきた。ジビエ(gibier)はフランス語で、狩猟で得た野生鳥獣肉の意。フランス料理では古典的な食材だ。
「ジビエは牛、豚、鶏に次ぐ第4の食肉となる可能性を秘めています」
一般社団法人・日本ジビエ振興協会の代表理事である藤木徳彦(のりひこ)(49)は語る。ジビエを地域活性化につながる自然の恵みととらえ、自然との共生を考え続けている。人呼んで「日本ジビエの立役者」。
多くの企業、自治体が会員として参加する協会は「美味しいジビエを日本の食文化として普及させ、地域に貢献する」を目的に掲げて、2012年5月に日本ジビエ振興協議会として任意団体で創立された。
「創立時、農水省に有害鳥獣の被害対策の部署はあっても、捕獲鳥獣の利活用の担当部署はありませんでした。でも、全国各地の方々と連携して道を作ってこられた。ジビエは地域限定の郷土料理から、広く社会に流通する食肉になり始めました」
今、カジュアルなレストラン、居酒屋でもジビエのメニューが味わえる。「鹿肉は筋肉質で低脂肪高タンパク。鉄分も豊富」と健康志向に乗れた面はあれ、駆除の対象だったものが、食材となり、全国で流通するようになった背景には、藤木を中心とした協会の活動があった。
藤木は長野県茅野市の蓼科中央高原の別荘地にある、ホテル付きフランス料理店「オーベルジュ・エスポワール」のオーナーシェフだ。オーベルジュとはフランス発祥の料理重視の宿泊施設。食材は信州産の地産地消を柱として1998年4月に開店し、厳選されたジビエ料理が味わえる名店として知られている。協会の事務局もここにある。
藤木氏
ジビエとの出会い
藤木は1971年、東京都三鷹市に生まれ、三鷹台の駅前商店街で育った。父はジーンズメーカーの営業マン、母は自宅兼店舗のジーンズ店で店長だった。幼い頃から食事の買い物は藤木の仕事で、次第に食材に関心を持つようになった。
父は「第2の人生は家族でペンション経営を」と考え、藤木が小学5年生のとき、八ヶ岳中信高原国定公園に属する蓼科中央高原の借地権を取得した。藤木は「将来はペンションのシェフ」と思い描き、都内の駒場学園高校食物科で学ぶ。卒業と同時に調理師免許を得て、家族旅行で宿泊したこともある蓼科高原のオーベルジュで修業に入った。
「地産地消はまだ一般的でなく、修業先のレストランで使っていた信州の食材はニジマスぐらいでした。鹿肉はニュージーランドで養鹿(ようろく)(飼育)された冷凍品がありました。クセがなくおいしい、と思いました」
20歳のとき、研修旅行で冬季のフランスを訪れ、家族経営のオーベルジュで本場のジビエを味わう。「ジビエは冬の味覚と知り、鹿と真鴨を味わった。天然の野性味、肉の旨みそのものを感じました。食材もワインもオーベルジュでは地産地消が柱、と教えられました。家族経営の温かみにも触れ、独立後はオーベルジュ経営を、と決意したのです」
1998年に26歳で独立し、両親、妹、妻ら家族5人とスタッフ7人で開店。蓼科の近間で有機栽培に取り組む野菜農家を訪ねるなどして、地元の食材を仕入れていった。
「私は農家のご苦労を間近に見て、食材を無駄にすることがなくなりました。フランス料理に通常は使わない食材でも、生産現場で食べてみると、新たな料理の構想が次々と浮かんだ。信州は食材の宝庫だ、とほれ込みました」
秋、オープン初の冬をどう乗り切るか、を心配した。冬は地元食材が手に入らなくなるからだ。加えて蓼科中央高原の麦草峠が冬季は路面凍結のため通行止めとなり、集客が落ちるので多くの店は休業する。
借りた開店資金の返済もあるので、休業はできない。信州に関係のない食材で乗り切るか、と悩む中でジビエに出会った。
常連客が「毎年11月、じいちゃんが山で鹿を捕ってくるけど、硬くておいしくない。去年の肉が冷凍庫にあるから、あげるよ」と言ったのだ。食べてみると、輸入品に勝るとも劣らない味だった。感染症対策で加熱は必要だが、鹿肉は脂肪が少なく、火を通しすぎると硬くなる。鹿肉は弱火でじっくり、がコツ。常連客の家では豚汁風に強火で煮込んでいた。味が損なわれていたのだ。
蓼科中央高原
信州ジビエの誕生
「信州では鹿、猪、熊の肉は山肉と呼ばれて古くから食文化としてなじみ深い、と知りました。現代では狩猟期間が冬ゆえ“山肉はジビエと同じ冬の食材”と気づいたのです。猟師さんから鹿や猪が入手でき、勝手に“信州ジビエ”と名付け、店のホームページで告知しました」
狩猟免許取得者が銃や網、罠などで鳥獣を捕獲できる狩猟期間は11月15日から翌年2月15日と鳥獣保護管理法は定めている。狩猟者は期間中の獲物を自家消費でき、当時は飲食店に卸すことも許された。
「最初は猟師さんから一頭丸ごと買っていました。鹿は1頭10万円。現在の10倍です。当時は貴重な食材で“売って頂く”という感じでした。食べるのは肉ですが、骨や内臓は赤ワインで煮込んでソースに仕上げる。フランスでは“ジビエ料理は一皿で野生動物を表現するもの”と言われているからです。鹿がフランス料理になるとは、と猟師さんは驚いていました。信州ジビエは地元野菜と相性抜群で、信州産のワインや日本酒との相性も抜群。一皿で、テーブルで信州を表現できるという大きな魅力に気づきました。信州ジビエを目当てに東京のお客さんも来られた。信州産の鹿肉がないときは輸入品とお断りして使いました」
野生鳥獣の農林業被害を意識するようになったのは2000年だ。
「鹿や猪の生息域が急拡大したのでしょう。そのころから取引のある農家が被害に遭い、『にっくき野獣』『離農も考えねば』と口にするようになりました。農家のご苦労を知るだけに胸が痛んだ。そこで鹿や猪を食材として活用し、新たな食文化にすれば、農家の皆さんも安心して農作業ができると思ったのです。後の協会創立の原点ですが、当時の私は鹿や猪を味わって頂くお客さんに自分のそんな思いを話していました」
狩猟現場への同行も許され、命を頂くという感謝の念も増した。
「家畜と異なり、自然の中で一生懸命に生きてきたジビエは筋肉質で個体差も大きい。どうすれば一番おいしい料理になるか、おいしく調理しないと失礼だ、と常に考えた。ですから仕入れの眼も厳しくなりました。猟では火薬を使う散弾銃ではなく、威力の弱い空気銃の使用をお願いした。肉に鉛弾が残らず、風味を損なわずに利用できるからです」
ちなみにレジャーとしての狩猟は冬季に限定されているが、農林業等の被害防止のための野生鳥獣駆除は冬季以外にも自治体が設定している期間であれば可能で、自治体が猟友会に報奨金を支払う仕組みだ。
藤木と狩猟者との縁も広がり、鹿肉は県内産で賄えるようになる。食通の間で美味との評価も高いカラスをはじめ、真鴨、雉鳩(きじばと)(山鳩)などの野鳥も定番となった。また、信州の伝統食だが、生産者が限られ、知る人も少なくなった「凍(し)み大根」を信州ジビエと組み合わせ、フランス料理に仕立てた。生産者を、食文化を守りたい意識からだった。藤木の店は徐々に県内で注目されてゆく。
「オーベルジュ・エスポワール」で味わえるカラスのジビエ料理
「ジビエはダメだ」
その藤木が初めて行政と縁を持ったのは2004年8月だった。長野県諏訪地方事務所から、11月に地元6市町村の飲食、宿泊関係者や観光業者ら約40人を対象に、藤木の店でジビエ料理を味わいながら、藤木の冬季の集客成功術を聞く勉強会を開催したい、費用は県がすべて負担する、と言われたのだ。
「ジビエは県内産の鹿と雉鳩を出すと9月に告知したら、県内のある保健所から『ジビエはダメだ』と待ったがかかった。ジビエがダメならウチは冬季の営業ができない。昔から信州では山肉としてジビエに親しんできた。なぜ今さら、と保健所に問うも埒があかない。そこで、お客さんとして地元後援会の方と店によく来られていた当時の長野県知事の田中康夫さんへ直訴文を送りました。名刺のメールアドレスに。すぐに田中知事から電話が来た。『信州は昔からジビエを食べていたよね』と。2日後、保健所からOKが出た。理由は『上からの指示で』と(笑)」
グルメでも知られた田中に藤木は助けられた。会の様子は信濃毎日新聞に「畑を荒らす鹿などを食材にとは、意識しなかった」という参加者の感想とともに紹介された。
「田中知事に再び直訴文を送りました。『ジビエを長野県のブランドにして欲しい』と。これもすぐ電話が来ました。『よし、やろう!』と」
田中知事(当時)
信州ジビエの祖
即座に長野県は林務部に「信州ジビエ振興対策ワーキングチーム」を発足させた。ただ、藤木には引っかかるものがあった。保健所が当初、難色を示した理由だ。保健所は「ジビエは食肉でも食品でもないから、ダメと言う他なく」と釈明した。
「なるほど、と思いました」
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source : 文藝春秋 2021年4月号