文学は猛毒を薬に変えて差し出す表現であるべきだという考え方があるが、評者には違和感がある。ソ連共産党の文学官僚から聞かされた「資本主義社会における労働者階級の解放、発達した社会主義社会(ソ連の意味)においては、共産主義の実現に貢献する文学のみに意味がある」という社会主義リアリズム論に通底するところがあるからだ。
猛毒をそのまま提示して評価は読者に委ねるというアプローチも認められてよい。『コンビニ人間』は、人間が持つ猛毒をあえて薬に変えることをせずに提示した優れた文学作品と思う。
現在、36歳の古倉恵子は、子どもの頃から周囲の人々とのコミュニケーションが上手に取れない。
〈小学校に入ったばかりの時、体育の時間、男子が取っ組み合いのけんかをして騒ぎになったことがあった。/「誰か先生呼んできて!」/「誰か止めて!」/悲鳴があがり、そうか、止めるのか、と思った私は、そばにあった用具入れをあけ、中にあったスコップを取り出して暴れる男子のところに走って行き、その頭を殴った。/周囲は絶叫に包まれ、男子は頭を押さえてその場にすっ転んだ。頭を押さえたまま動きが止まったのを見て、もう一人の男子の活動も止めようと思い、そちらにもスコップを振り上げると、/「恵子ちゃん、やめて! やめて!」/と女の子たちが泣きながら叫んだ。/走ってきて、惨状を見た先生たちは仰天(ぎょうてん)し、私に説明を求めた。/「止めろと言われたから、一番早そうな方法で止めました」/先生は戸惑(とまど)った様子で、暴力は駄目だとしどろもどろになった。/「でも、止めろって皆が言ってたんです。私はああすれば山崎くんと青木くんの動きが止まると思っただけです」/先生が何を怒っているのかわからなかった私はそう丁寧に説明し、職員会議になって母が呼ばれた。/なぜだか深刻な表情で、「すみません、すみません……」と先生に頭を下げている母を見て、自分のしたことはどうやらいけないことだったらしいと思ったが、それが何故なのかは、理解できなかった〉
奇妙な「合理的思考」
恵子が大学に入学した18歳の時に自宅の近所にコンビニが開店した。そこで18年間、恵子はアルバイトを続けている。飲食物もコンビニで購入した商品しか摂らないので、身体はコンビニ商品で出来ていると言ってもいい。思考も行動もコンビニで働くのに過剰適応している。
ある日、能力は低いが自己評価が異常に高い白羽という独身青年がコンビニでアルバイトを始める。仕事はできないが、いつも毒づいている。恵子は白羽についてこんな評価をしている。
〈差別する人には私から見ると二種類あって、差別への衝動や欲望を内部に持っている人と、どこかで聞いたことを受け売りして、何も考えずに差別用語を連発しているだけの人だ。白羽さんは後者のようだった。/白羽さんはたまに言葉をとちりながら早口で呟き続けている。/「この店ってほんと底辺のやつらばっかですよね、コンビニなんてどこでもそうですけど、旦那の収入だけじゃやっていけない主婦に、大した将来設計もないフリーター、大学生も、家庭教師みたいな割のいいバイトができない底辺大学生ばっかりだし、あとは出稼ぎの外人、ほんと、底辺ばっかりだ」/「なるほど」/まるで私みたいだ。人間っぽい言葉を発しているけれど、何も喋っていない。どうやら、白羽さんは「底辺」という言葉が好きみたいだった〉
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source : 文藝春秋 2018年12月号