「万年自転車操業の鉄道会社『銚子電気鉄道』が突っ走る独自経営路線」竹本勝紀(銚子電気鉄道)

ニッポンの社長 第9回

ニュース 企業
鉄道会社なのに自転車操業。今日も「自ギャグ路線」を突っ走る

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全長6.4㎞をゆるゆると約20分で走行し、自転車よりも遅いと話題になる銚子電気鉄道だが、社長の竹本の話しっぷりは快速電車のよう
▶︎竹本は、税理士として銚子電鉄の顧問になったのちに推されて社長に就いた。運転士の免許を取得し、いまも月に3回程度、運転席に座る
▶︎約5億円の年商のうちの7割から8割をぬれ煎餅などの鉄道収入以外が占めており、民間の信用調査会社である帝国データバンクは、銚子電鉄を、鉄道業ではなく「米菓製造業」と分類する

ギャグが原動力

「経営状況はいつも厳しくて、人、物、金、すべてが常に不足しています。底力があるといっていただくこともありますが、そんなことはありません。とっくに底が抜けていますから。さらにコロナの影響が加わって、こんなにお客さんが激減する日が来るとは思いもしませんでした」

 108年前の前身会社の創業時に建てられたという仲ノ町駅舎を兼ねた木造本社の事務室で、竹本勝紀は語り始めた。5月に誕生日を迎えたばかりである。来年は還暦を迎える。

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竹本社長

 お忙しいことと思いますが体調はいかがですか、と訊ねるや、真顔で「死にかけてます」と即答した。デスクワーク中の従業員が傍らで笑いを噛み殺している。始発の銚子から終点の外川(とかわ)までの10駅、全長6.4㎞をゆるゆると約20分で走行し、自転車よりも遅いと話題になる銚子電気鉄道だが、社長の竹本の話しっぷりは快速電車のようである。

「私の原動力? ギャグじゃないですかね。いつも真剣にふざけてますから。他人(ひと)は決して傷つけないかわりに、自らを虐げてギャグで笑い飛ばそうという“自ギャグ”路線を突っ走っています。なにしろ、電車会社なのに万年自転車操業ですから」

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銚子電鉄の事務所

 関東の最東端に位置し、日本一の水揚げ量を誇る千葉県の漁港町で至って平坦な線路を走る銚子電鉄なれど、経営は山あり谷あり……というより、谷ばかりの苦境を凌いできた。竹本は、税理士として銚子電鉄の顧問になったのちに推されて社長に就いた。運転士の免許を取得し、いまも月に3回程度、運転席に座る。経営の舵取りをして9年目である。

 銚子は、ともに1600年代の創業であるヤマサ醤油とヒゲタ醤油の本社や工場などがあることでも知られる。JR銚子駅と同じホームから銚子電鉄に乗ると、線路の左右にある工場から醤油の元となる醪(もろみ)の匂いがぷーんと漂ってくる。その匂いが遠のくにつれ、しだいに畑が増えていく。いまの時期は春キャベツの収穫期であり、丸々と育った緑の実りが絨毯のように広がる。踏切の点綴音(てんていおん)が近づいてきて、窓の外で、遮断桿の向こうに、よく日に灼けた男性の運転するトラクターが停まっているのを、幾度も目にする。2両の車内は空(す)いている。カメラを手にした観光目的とおぼしき乗客の姿も少なくないが、黄色い帽子をかぶった小学生に制服姿の中高生も乗り降りしている。犬吠埼(いぬぼうざき)灯台に近づくと、沿線に生い茂る緑が自然のアーチをつくっていて、車両がくぐり抜ける。目にまぶしい新緑の生育は著しいようで、時折、風に揺れる葉が車体や窓ガラスに当たり、シャリシャリッと音を立てる。

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副業に活路を開く

 1913(大正2)年に、銚子―犬吠間を結ぶ銚子遊覧鉄道として開通したのが発祥である。前述の仲ノ町駅は、銚子駅の次であり、この開業当時の駅舎が現存して本社を兼ねている。鉄道は地域住民の暮らしに欠かせぬ足であり、犬吠埼灯台や銚子の海水浴場は人気の観光地でもあった。だが、経営は安定せず、4年で廃線となる。住民の要望を受け、1923(大正12)年、現在と同じ銚子―外川間を走る銚子鉄道として改めて開通し、現在に至る。戦中、空襲を受けて車両や車庫、変電所などを焼失し、運休を余儀なくされた。戦後の1948年、銚子電気鉄道として再建されるが、100年近い歴史は危機と波瀾の連続であった。

 再建から3年で輸送人員が減少し始め、赤字に転落する。競合関係にあった地元のバス会社に買収され、さらにその親会社が廃線の方針を打ち出したが、地元住民の強い反対によって運行がつづけられる。

 赤字を少しでも埋めるべく、1975年に国民的な大ヒット曲となった「およげ! たいやきくん」にあやかり、鉄道会社でありながら、翌年、唐突にたい焼きの製造販売を始める。これが予想外の評判を呼び、銚子電鉄が副業に活路を見い出していく発端となった。現在も、犬吠駅で、曜日と時間帯を限定して販売している。つぶあん、カスタードクリームの2種類に加え、7月までの期間限定でチョコレートも売られている。3種類すべてを食べたが、生地の食感はパリパリもちもちとして、尾の部分まで詰まったあんはほどよい甘さでちょうどいい。さすがは45年の実績というべきか。「弧廻(こまわり)手形」と名づけられた大人700円の1日乗車券を買って乗車してでも賞味する価値があると思った。

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 1995年、もともと銚子の名物でもあったぬれ煎餅の実演販売に乗り出す。TBS系の朝の情報番組「はなまるマーケット」へ第1回のゲストに出演したタレントの山田邦子が好物として紹介したことから、ぬれ煎餅の知名度は一気に上がる。勢いづいた銚子電鉄は、鉄道部門の年商が1億円強だった時分の97年に8000万円を投じて、ぬれ煎餅の自社製造工場を建ててのける。99年度には、鉄道部門の年商が1億4000万円であるのに対し、ぬれ煎餅のそれは約2億5000万円へと跳ね上がる。これを機に、銚子電鉄の売上高構成比は主従が完全に逆転する。このころを称して、竹本は「第1次ぬれ煎餅ブーム」と呼ぶ。

 好事魔多しというべきか、因果は巡る小車やというべきか、同じころ、紆余曲折を経て親会社となっていた建設会社が経営破綻した。その親会社の社長が銚子電鉄の名義で借りた資金を私的流用していたと発覚し、刑事事件に発展する。事件により、銚子電鉄はそれまで受けていた県と市の補助金を得られなくなる。たちどころに運転資金に行き詰まった。その折、千葉市内の会計事務所で税理士として副所長を務め、500社ほどの顧客を抱える竹本に、旧知の弁護士から声がかかるのである。「すぐにもつぶれそうで、もはや破産するしかないような会社がある。でも、破産の手続きを始めるための予納金も捻出できない。会計や税務の面倒を見てもらえないか」と。銚子電鉄の存在はむろん知っていた。台所事情を深く探らぬまま、「私でお役に立てるなら」と引き受けた。

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ぬれ煎餅。銚子特産の醤油を沁みこませ、しっとりとした食感

モラトリアムが長かった

 竹本勝紀は千葉県木更津市に次男坊として生まれた。父の一忠(かずただ)は、税務署勤務時代に、非共産党系の職域労働組合を新たに旗揚げする発起人に仲間とともに名を連ね、弁の立つ勇猛な人物として通った。税理士として独立してからも、面倒見がよく、正論を貫く姿勢は変わらず、「一忠(いっちゅう)さん」と敬愛されて広く知られてきた。90歳のいまも現役の税理士として忙しい。竹本勝紀は、「父の血を確実に引いています」と自己分析する。

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source : 文藝春秋 2021年7月号

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