コロナ危機「言葉の力とゼロリスク神話」

緊急座談会 危機のリーダーの条件 第1章 

片山 杜秀 評論家
葛西 敬之 JR東海名誉会長
老川 祥一 読売新聞グループ本社会長
ニュース 社会 政治 国際
菅義偉、ジョンソン、メルケル、アーダーン、マクロン……。日本を救えるのは誰か? 明治維新から米中対立まで、全5時間の大討論!
画像5
 
(左から)葛西氏、老川氏、冨山氏、片山氏

首相の退任というさらなる非常事態

 ——新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界は想定不能の危機を迎えています。こうした非連続の「有事」に際して、指導者の資質、能力の差が如実に表れました。世界では、ニュージーランドのアーダーン首相、ドイツのメルケル首相などが、コロナ対応において大きな存在感を示しました。

 一方の日本では、昨年9月から菅政権がスタートしたものの、GoToキャンペーンや、東京五輪開催の是非を巡って、政権のコロナ対策が国民から大きな批判を浴びました。今年9月の総裁選に菅義偉首相は不出馬の意向を示し、事実上の退任に追い込まれた。国家の非常時において、なぜ首相の退任というさらなる非常事態が起きたのか。まずは、コロナ下のリーダーに求められる資質や能力についてうかがいたいと思います。

 葛西 まず、日本はロックダウンなどの私権制限をした欧米と比較しても感染を抑えている。具体的には1日あたり感染者・死者数、累積感染者・死者数のいずれも欧米と比べ少なく、ワクチン接種率も直に米国や英国に追いつく見通しであり、決してコロナ対応自体に失敗しているわけではありません。

 では、菅政権の問題は何だったかと言うと、国民にコロナ対策の「全体像」を示せなかったことです。最終的な出口戦略をイメージし、その目標を成し遂げるために今やっていることはどういう意味があるのか、大きなシナリオを提示することが出来ませんでした。

 例えば、イギリスのジョンソン首相は、国民へのワクチン接種を驚異的なスピードで進めると同時に、学校閉鎖やロックダウンを段階的に解除し、コロナと共存していくという出口戦略を示しています。本来、あらゆる病気にゼロリスクはないため、接種証明書の活用などを通して、経済活動の制限緩和への道筋を示すことが重要です。菅政権はそのような出口戦略を示さず、感染拡大の状況を見て、その都度緊急事態宣言を延長するなど、戦力を“逐次投入”していく形をとった。その政府対応が後手後手に映り、国民の不信感を招いたのだと思います。

ジョンソン
 
ジョンソン英首相

 冨山 危機管理の要諦は「最悪を想定し、最善の努力をする」ことです。菅さんは胸の内では最悪の事態を想定していたのかもしれませんが、それが国民に伝わっていなかった。それが結果的に、「逐次投入」「後手後手」というイメージに繋がったのでしょう。

 老川 お二人が指摘された菅政権の問題点を突き詰めると、リーダーとしての「言葉の乏しさ」に帰結すると思います。政権のコロナ対策についての説明が、国民に説得力を持って届いていませんでした。

 首相会見を聞いていると、官房長官時代の答弁がそのままスライドした印象でしたね。東京五輪については何を聞かれても「安心・安全な大会を実現する」、「前から申し上げている通り……」と繰り返すばかり。本人も最近になって「やっぱり、官房長官時代の癖が抜けなかったのがまずかったのかな」と周囲に漏らしているそうですが……。

 菅さんの政治スタイルは、美辞麗句を並べ立てるよりも、目の前の仕事に真摯に取り組み、国民に結果を見てもらおうというものです。弁舌よりも結果だと。それが会見での態度に表れたのでしょう。もちろん結果は大事です。ただし、政治というのは「人を動かす」のが仕事。人を動かすためには説得力を持った説明が重要で、そこにはやはり言葉が必要になってきます。政治は言葉の世界でもあるのです。

 菅さんは官房長官を7年8カ月の長きにわたり務めましたが、実は総務大臣以外、党の役員、派閥の長など、人を動かす主要なポジションに就いた経験はほぼないと言っていい。官邸で過ごしていると、霞が関から選び抜かれた優秀なスタッフが自分の意を汲んで、上下関係の中で動いてくれますから、言葉を使う必要がありません。そういった経歴も悪い方向に作用したかと思います。

日本人はパラノイアに陥っている

 片山 1990年代から始まった政治改革では、縦割り行政や官僚政治の弊害をなくすべく、官邸や内閣府の権限を強化してきました。菅さんはその変遷の中で官房長官を上手く務められましたが、官邸の権力が強くなるに従い、ごく限られた人数の補佐官的なエリートばかりが総理の相談を受ける「宦官政治」になってしまったんですね。これは中国の各王朝末期、あるいは江戸時代の「側用人政治」にも近い。

 政治改革の結果、厚労省は官邸の言いなりに動くロボットと化し、当然、緊急事態に力を発揮する体制は失われている。ところが官邸の「宦官」たちには、ロボットを操る専門的な知恵が無い。そこで専門家会議を付け足すのですが、それで責任の所在や対策の決定の過程が曖昧になりました。さらに「言葉が足りない総理大臣」が加わり、これはもう四重苦ですね。政治改革が裏目に出た、日本の悲劇だったと思います。

 コロナ禍のような未曽有の自然災害は、誰が首相を務めていても対処は難しいものがあります。菅さんだろうが安倍晋三元首相だろうが、東條英機だろうが伊藤博文だろうが、コロナ対応は全く未経験の分野になる。そこで国家を崩壊させないためには、仮初の弁論術でもいいので言葉を駆使して、政治に国民を繋ぎとめる努力をしなければなりません。

 葛西 菅さんは言葉が足りなかった面があるのはその通りだと思いますが、本来的には政策の内容が重要です。ここのところ会見での話題は、感染症対策に終始し、経済対策はもちろんのこと、中国の脅威に備えた安全保障対策の整備、エネルギー政策といった日本の将来にとって欠かせない重要課題に関する本質論については、ほとんど質問もありませんでした。

 私が思うに、日本人は新型コロナについて、ある種のパラノイア(偏執症)に陥っています。1人の死者も出すことは許されないと国民が過敏になり過ぎている。そして、そのような状況を煽る事実ばかりをメディアが流し続けている。これらに合わせるかのように、菅さんは「感染防止対策を一生懸命やりますから、ご協力ください」という姿勢に徹し、明確な出口を示せずに来てしまいました。

菅義偉
 
菅前首相

損害ゼロの戦争なんてない

 冨山 昨年6月、経済学者の小林慶一郎さんらと緊急提言をおこなった際、私は会見で「(コロナ対策は)命か経済かではなく、命と命の問題になっている」と指摘しました。社会経済活動を自粛すれば感染による死者は減りますが、景気悪化のため経済的に困窮し、命を失う人が増えていきます。日本は国民も政府も、コロナによる重症者数、死亡者数ばかりに気を取られ過ぎた印象がありますね。

 葛西 フランスのマクロン大統領は、ウイルスとの戦いを「戦争」に例えましたが、あれは本質を突いている。損害ゼロの戦争なんてどこにもありません。

 例えば今年7月、ジョンソン英首相はロックダウンなどの法的規制を全面解除しました。当時、英国内の1日の新規感染者数は約4万7000人。人口が約2倍の日本は第5波のピークでも約2万5000人ですから、日本だったら解除などとても考えられない。それでもジョンソン首相は自らの政治生命を賭け、社会経済活動を活性化する方向に舵を切ったのです。コロナ下のリーダーには、このくらいの決断力が必要です。国政の大局を俯瞰した場合に、コロナに関する最小限度のリスクをとってでも、守るべきものが他にもあると強くアピールするという形で、日本国民のパラノイアを転換させる。次期首相には、それくらいの決断力と発信力が求められると思います。

マクロン
 
マクロン仏大統領

2つのハイジャック事件

 片山 日本のゼロリスク神話で分かりやすい例が、1977年のダッカ日航機ハイジャック事件です。当時の福田赳夫首相は「人の命は地球より重い」と、犯行グループである日本赤軍の要求をのみました。実は、その半月後、ルフトハンザ・ドイツ航空のハイジャック事件が発生しましたが、当時のシュミット西ドイツ首相は、テロリストの要求に応じるわけにはいかない、50人死んだら責任をとって辞職すると、特殊部隊を突入させています。

 どちらが良いと一概には言えませんが、危機管理では優先順位をつけることが何より重要です。真珠湾攻撃の作戦を立案した海軍軍人・源田実の『統率力』(読売新聞社)を読むと、そのことがよく分かる。この本によると、真珠湾攻撃が成功した理由は、空母6隻で「真珠湾にあるアメリカ艦隊を撃滅する」と、ミッションを1つに絞ったこと。一方、ミッドウェー海戦が失敗した理由は、空母4隻で「ミッドウェーのアメリカ軍基地を空襲し、航空戦力を掃討する」「アメリカの機動部隊が出てきたら撃滅する」「上陸船団の護衛をする」「上陸船団を守っている連合艦隊の主力も護衛する」と、4つものミッションが与えられたためだと。しかも優先順位がつけられていなかった。予測不能の事態が起これば、その場で弾力的な対応をしろというわけです。当然、現場は混乱し、日本海軍は壊滅しました。

 冨山 危機管理で「あれもこれも」はダメですよね。「あれかこれか」でなければならない。

 片山 コロナ対応も同じです。ミッションは1つに絞るべきだし、複数ある場合は優先順位をつける必要があった。今夏、東京五輪開催の是非について国内で大きな議論がおこりましたが、当時の菅首相は「緊急事態宣言で国内の感染拡大を抑え込む」「東京五輪は観客を入れて開催する」という、2つの相反する目的を対等に追求しているように見えました。まさにミッドウェー的な、どっちつかずの戦略です。

 菅さんは「感染対策も五輪も成功させる」ではなく、リスクを容認した上で優先順位をつけるべきでした。「東京五輪は、日本の国際的信用や経済のために、絶対にやる必要がある。感染対策は最大限努力するが、ある程度の感染者数増加はやむを得ない。事前に設定したラインを超えて感染が爆発した場合は、責任をとって辞職する」くらいの説明があれば、国民も納得したのではないでしょうか。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

12,000円一括払い・1年更新

1,000円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
雑誌プランについて詳しく見る

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2021年11月号

genre : ニュース 社会 政治 国際