「笑点」は談志と歌さんの力で成功した(構成・岸川 真)
歌さんまで旅立って寂しいね。今日は(五代目三遊亭)圓楽さんの墓参りに行ってきたしさ。もう「笑点」旗揚げの仲間はこんちゃん(林家こん平)しか残ってないんだな。
俺が最後に会ったのは1年半くらい前の東京駅。新幹線のホームでね。ちょうど歌さんが仕事に発つ時だったのかな、先に挨拶すると「岡山に行くんだよ。マムシさんはいいね、元気でさ」って、しみじみ言われたのがまだ耳に残ってるなあ。
今年の11月21日で(立川)談志が逝っちまって早いもんで7年だ。あいつが昭和11年の1月の生まれで、俺が同じ年の3月末、歌さんが8月という順番だから、出会った頃から俺らは同級生って感覚がありました。俺ら3人、月で数えりゃ歌さんは弟なんだけど、談志はいつも歌さんを「兄(あに)さん」って呼んでたね。芸歴じゃ歌さんが兄貴分なんだよ。まだ中学にいた15歳の時分、昭和26年に歌さんは(五代目)古今亭今輔さんの弟子になってる。談志が(五代目柳家)小さん師匠に入門するより1年早いわけだ。
だけどね、歌さんも談志に対して「兄さん」って呼ぶの。互いを兄貴と呼び合うなんて、不思議な関係だってずっと思っていたんです。
俺が初めて談志の紹介で歌さんと知り合ったのは、彼が今輔門下で、古今亭今児(いまじ)と名乗っていた時だね。今輔師匠は相手が間違ってると思ったら、自分がいる一門を飛び出しちゃうくらい一本気な男で有名だったの。でね、詳しい経緯は知らないけど、歌さんは昭和31年に今輔さんに破門されちゃった。歌さんは「もう落語家は辞める」って言ってたようだけど、やがて兄弟子だった(四代目)桂米丸さんのところに再入門するの。それを取り持った一人が談志だったんじゃないかな。それだと歌さんがあいつを「兄さん」と律儀に立ててた説明もつくよね。
そこで疑問なのは、なぜ談志が破門された歌さんの身を案じたのかってこと。談志は落語協会、歌さんは芸術協会って所属団体が違うわけだし、二つは寄席で一緒になることはあっても運営は別物なの。あいつが組織の垣根を超えてまで世話を焼いたとしたら何でだろう。そのワケの手掛かりは、俺と談志の馴れ初めを喋るとわかってくるかもね。
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source : 文藝春秋 2018年09月号