著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、夢枕獏さん(作家)です。
ぼくの父が亡くなったのは、74歳の時だ。少し早い死だ。死因はガン。若い頃のぼくの目標は、父が死んだその歳よりも長く生きることだった。
父、つまり親父が詩を書いたり小説を書いたりしていたことは、亡くなったあと母から知らされた。
「これがそうよ」
と、残っていた詩の原稿を母から渡されて読んだのだが、残念ながら名品というような詩ではなかった。わずか数編の詩であったが、その中に3回も「名も知らぬ花」という表現があった。若い頃の父親の詩を読むというのは、息子としてはなんだか恥ずかしいが、そうだったのかとうなずけるところもあったのである。
大学を卒業した時、就職せずに、山でバイトをしながら小説を書いてゆきたいと言ったぼくに、何の反対もせず、
「好きにすればいい」
と、あっさり認めてくれたのは、親父のどういう心の動きであったのか。おかげでぼくは、この時家出をしそこねて、30歳で結婚するまで、実家で暮らしながら、バイトと山と小説の日々をすごしてしまったのである。
ぼくが23歳の時——ヒマラヤへゆくための資金を稼ぐため、バイトにあけくれていたおり、親父が交通事故にあった。頭蓋骨陥没という大怪我で、3日間意識不明だった。4日目に意識を取りもどした親父に、ヒマラヤへゆくのはやめて就職し、家族の面倒は自分がみる決心をしたことを告げると、
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source : 文藝春秋 2022年5月号