10代、20代の頃、お正月に配達される新聞を開くのはなんともいえない愉しみだった。昭和40、50年代の話である。増ページされた紙面には各出版社の新企画が次々と出てくる。今年はどんな全集が出るか。買いもしないのに、豪勢な蔵書家になった気分だった。
就職してから欲張って買った全集類はかなりあったが、それらもばっさり処分された。忙しくて読めない。住宅事情が許さない。頁も開かないままに手を離れた。
数え上げてみると、漱石、芥川、志賀といったオーソドックスなものから、子規、尾崎一雄、梅崎春生、阿部昭や、明らかに背伸びをした本居宣長、契沖まで買い揃えた。立派な函入り本は、いつのまにか幼かった子供たちの手で落書きされていた。
あのいまや失われた個人全集が並んだ書棚を、微かな悔いと共に思い出すのは、ひょんなことから、電子書籍で『江藤淳全集』を出すことになったからだ。23年前に自死した江藤淳は、今年の12月25日で生誕90年となる。記念の年とも気づかず、この7月から、暴挙とも言える試みは始まった。
江藤淳は生前に、講談社と河出書房新社から著作集が出ている。全集も発刊が予定されていた。ライフワーク『漱石とその時代』全5部の完結後に、『江藤淳全集』(全12巻)が出版されることになっていて、著者自身の頭の中で、全巻の構成は出来上がっていた。モデルとしていたのは全12巻の『小林秀雄全集』(小林の生前に編集された版)らしい。
しかし、衝撃的な死によって、ライフワークは完結しなかった。それに殉じたわけでもあるまいが、『江藤淳全集』の企画もいつか沙汰止みになってしまった。出版環境が昭和と平成では大きく様変わりしていたのも、ひとつの理由だろう。個人全集の時代はとうに過ぎ去っていた。
江藤淳のライヴァルであり盟友でもあった吉本隆明の全集は、晶文社から刊行中だ。それなら江藤淳の全集があっても一向におかしくはない。ただ、江藤と吉本を比較すれば、人気も人望も吉本のほうがはるかに勝っていた。『吉本隆明全集』(全38巻・別巻1)を推進しているのは、吉本さんの元担当編集者たちという。
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source : 文藝春秋 2022年12月号