エリザベス二世、稲盛和夫、ジャン=リュック・ゴダール、古谷一行、ミハイル・ゴルバチョフ

蓋棺録

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム

★エリザベス2世

jpp031651573©共同通信社
 

 英国のエリザベス2世は、威厳を保ちつつ国民にメッセージを送り続けた。

 1952年2月、夫エジンバラ公とケニアに滞在し、樹上の小屋で風景を撮影していたとき、父ジョージ6世の崩御の知らせが届く。「木に登るときは王女で、降りたときには女王になっていた」といわれたが、樹下では多くの試練が待っていた。

 26年4月、ロンドンの邸宅で誕生する。父は国王ジョージ5世の次男ジョージ、母はストラスモア伯爵長男の四女エリザベス。幼いときにはリリベットの愛称で呼ばれる。父ジョージは皇太子の弟にあたり、王族の一員として平穏な幼年期を送った。

 ところが、10歳のとき予期しなかった事件が起こる。伯父のエドワード8世が、離婚歴のあるシンプソン夫人との結婚にこだわり王位を捨てた。父はジョージ6世として即位して、エリザベスは将来の女王と位置づけられる。

 日常の生活も変わった。バッキンガム宮殿に移り、イートン校の副学長に英国憲政史の講義を受ける。第二次世界大戦中には、ラジオで子供たちに「明日を担うのは私たちです」と語りかけ、陸軍の婦人部隊に入隊している。

 戦後エリザベスの夫探しが始まったが、すでに気になる人がいた。元ギリシャ王族の海軍大尉フィリップ・マウントバッテンで、互いに魅かれるものがあった。フィリップの叔父マウントバッテン伯爵の支援もあり47年に結婚式をあげる。この年の誕生日にはラジオで「私の一生は国民に捧げる」と語っていた。

 52年、即位直後はマスコミも新女王として祝福したが、やがて式典でのスピーチを「キザな女学生」と揶揄し、服装や化粧についてもあれこれ注文をつけるようになる。ことに大衆紙は王室への反感を売物にしていた。

 女王としての公務では首相とも摩擦が生じた。多かったのはサッチャー首相との対立で、たとえば米国が英国に通告なしに英連邦加盟国のグレナダに侵攻したとき、サッチャーは支持するが、エリザベスはあくまで英連邦の君主として不快を示した。

 何より辛かったのが子供たちのスキャンダルだった。長女アンが陸軍少尉と2人の子供をもうけたが離婚した。次男アンドリューも結婚して二子を得るがのち離婚。チャールズ皇太子はカミラとの不倫を暴露され、ダイアナ妃も不倫を告白して2人は離婚する。97年、ダイアナが愛人と交通事故で死去すると、女王の発言を求めて花束が宮殿前に積まれ、特別声明を発表せざるをえなかった。

 コロナ禍が英国を覆った2020年にもビデオで国民に呼びかけた。「必ずこの病を克服できます。私たちは再び会うのです」。多くの人がこの言葉を支えにしたという。

 近年は何気ないジョークが注目される。お忍びの散歩で女王と気づかない観光客に「女王に会ったことありますか」と聞かれ、警護の者を指さし「この人は定期的に会っているようですよ」。G7首脳との記念撮影では、当時のジョンソン首相に「私たちは楽しそうにするのね?」。こうした非公式の言葉を国民の多くが喜んだが、これもまた女王からのメッセージだった。(9月8日没、不明、96歳)

★稲盛和夫

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 京セラ創業者の稲盛和夫(いなもりかずお)は、セラミックスの町工場を多彩な企業群に育て上げ、独特の経営哲学で若い経営者たちに影響を与えた。

 常に語ったのが「利他」の思想で、他人を利するために働くという姿勢が、結局は自分にも利となって還ってくると論じてやまなかった。「世のため人のためという無私の心に反応して、神様が支援してくれるのです」。

 1932(昭和7)年、鹿児島市に生まれる。父は印刷所を経営していた。稲盛も家業を手伝い、高校時代には副業の紙袋製造を拡充したという。大阪大学医学部を受験するが失敗。鹿児島大学工学部応用化学科に入学する。

 当時は不況のため就職先がなく、恩師の紹介で入った京都の松風工業は経営不振にあえいでいた。稲盛はセラミックスの製品化に成功し、さらに新製品に取り組むが不採用になる。そこで仲間8人と京都セラミツク(後に京セラ)を創業して独立した。

 事業拡大のきっかけは、IBM社の集積回路用基板を受注したことで、急速に販路を広げた。80年代にベンチャー企業の雄として注目され、84年には電電公社の民営化に合わせて、第二電電企画(翌年第二電電=DDI、後にKDDI)を設立する。

 中堅企業が通信事業に参入するのは無謀だといわれたが、時代の波を読んで携帯電話事業にも乗り出した。その後、経営不振に陥った企業を再生させグループを拡大し、2010(平成22)年には経営破綻した日本航空の会長となり2年で再上場させる。

 この間、財団法人稲盛財団を設立し、ノーベル賞に匹敵する賞金の「京都賞」を優れた研究者や芸術家に授与し続けている。「私の人生観からも、社会へ恩返しすべきときだと考えたのです」。

 稲盛の経営哲学にひかれる人は多く、盛和塾を開設して若いベンチャー経営者に助言を続けた。なかには稲盛の言説に宗教臭を感じる人もいたが、「利他」の考えは揺るがなかった。「経営者はビジョンをもつことが先決です」。(8月24日没、老衰、90歳)

★ジャン=リュック・ゴダール

 映画監督ジャン=リュック・ゴダールは、フランス映画におけるヌーヴェル・ヴァーグの中心となった。

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source : 文藝春秋 2022年11月号

genre : ニュース