「文藝春秋」とのお付き合いは、私がデビュー作の「ベッドタイムアイズ」で芥川賞候補になった時から始まっている。一九八六年のことだ。いや、編集部との直接のやり取りはなく、選考委員の方々の選評を読んだだけ。そこからどうにか落選した理由を読み取ろうとするも困惑するばかりだった。
二回目の候補になったのは、それから半年後のことで、「ジェシーの背骨」という作品だった。その回も落選したのだが、受賞作なしのおかげで、私の作品が掲載されたのである。
それを知って、皆、驚いて、親しくしていた年配の編集者の方は、いやー、受賞せずして本誌に載るとは、きみは大物になるよ、いや、もう大物か、ははははは、と揶揄した。
それがきっかけで、月刊の「文藝春秋」を「本誌」と呼ぶのを知った。私は、好きな作家のゴシップには詳しかったが、出版業界に関しては、まるで無知だった。「文春」が「文藝春秋」の略であることや、その会社を中心に芥川賞、直木賞が運営されているというのを知ったのも、ずい分経ってからだ。
三度目に候補になったのは「蝶々の纏足」という題名のもので、その半年後のこと。しかし、またもや落選。あやふやな言い回しで意味の汲み取れない選評に苛々して毒づいたりした。半年に一度こういう気分を余儀なくされるので、すっかり腐ってしまった私だったが、落選の大先輩である島田雅彦を慮って、気持をしずめた。不屈の魂を持とうと思った。島田くんだってがんばってるじゃん!
で、半年後、四度目の候補になるであろうと担当編集者と勝手に予測していた「カンヴァスの柩」はそうならず、直木賞候補に上がったという連絡が来た。びっくりした。賞なんて考えもせず、私の大好きな音楽をテーマにしたラヴストーリーの短編集が選ばれたからだ。
結局、その「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」は直木賞を受賞した。そのこと自体は、大変喜ばしく光栄に感じていたが、実は、私は、その前後、私生活で散々な目に遭っていて、そこに直木賞候補の発表があり、しかも受賞したものだから、ものすごい騒ぎに巻き込まれたのである(このあたりのことは新刊「私のことだま漂流記」をお読みください。ええ、宣伝です)。賛否両論なんてもんじゃなかった。
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source : 文藝春秋 2023年1月号